地下通路
川崎ゆきお
前田は人波の中にいた。地下街の通路だ。
それはまるで地下水路のような感じで、前田はその流れに乗っている。いや、乗ってしまっている、または流されているといった方がいいだろう。
人の流れが強い場合、そこに引力でもあるのか、いつの間にか飲み込まれていた。
流れの中央部におり、動けるのは前方だけ。
地下の大通りのようで、そのまま進めば駅ビルの地下に出る。だが、この地下街は駅が多い。
「この流れに乗るつもりはない」前田には意志があるが、非常に弱い意志だ。
この流れの先にある駅に出るのが目的ではない。地下街での散歩を楽しもうとしているだけで、乗る可能性のない駅に出ても仕方がない。
だが、左右の枝道には入れない。強い意志があれば、流れから抜け出ることも可能だ。そこまでして方向を変えるだけの理由がない。
違う道を選ぶにしても、選ぶ根拠がない。あるとすれば、このままでは駅に出てしまうので、流されないという程度の根拠だ。
人波をかき分けてまでやるような説得力がない。
「違う通路を歩いてみたかったのです」では弱すぎる。
人波はさらに増え、幅のある固まりとなり、左右に移動することがますます面倒になる。
そして、地下から上に出る大階段を上ると、駅の改札前に出る。かなり広いので、人波はは緩和している。もう、自由に方向を変えても大丈夫なのだ。
そのまま直進すると、別の駅に出る。違う鉄道会社の駅だ。そちらへ向かう人波ができている。
また、波にさらわれるのはいやなので、前田は狭い通路に入り込んだ。
立ち食いそばや靴磨きに用事はないが、人が少ないのが好ましい。
テナントの向こう側に大勢の人がいる。改札前が見えるのだ。
「裏道に入れた」と、前田は得心する。
特に得をしたわけではないが、自分が選んだ通路が正解だったことで喜んでいるのだ。
しかし、それほど喜ばしいことではない。少しだけ自分のペースに戻れた程度だ。
その裏道はひっそりしていた。左右は壁で、たまに店屋の裏側が見えた。
さらに進むと、照明が暗くなる。ここは地上のはずだ。駅の建物の横側のはずだ。
しかし、薄暗い。
天井も低くなり、やがて、行き止まりのようなところに下への階段がぽっき開いている。
「これなんだ。これ」
前田が望んでいた散歩向けのコースだ。
階段の壁は煉瓦できている。かなり古い造りだ。階段には滑り止めはなく、濡れている。
「掃除でもしたのか」
雨は売っていない。水漏れもないはずだ。
階段を数段下ったとき、湿気を感じた。空気が濡れているのだ。
階段の下が見える。
かなり薄暗い。
「これは洞窟じゃないか」
前田の靴は苔を踏んでいる。
「絨毯よりふんわりしていて、気持ちがいい」
蛍光灯は入り口だけで、その先は真っ暗だ。
「これを期待していたんだな。これを」
前田はやっと喜んだときの顔になる。
そして、訳の分からない地下の道へと入って行った。
了
2011年1月24日