小説 川崎サイト

 

ドア

川崎ゆきお



 宮本はいつものように町内の喫茶店のドアを開ける。店内には窓はあるが、カーテンが閉まっており、中は見えない。照明は暗く、夜でないと店内の明かりは目立たない。中より外の方が明るいためだ。夜になると店はもう閉まっている。
 宮本は夕方前、つまり閉店前に通うのが日課となっている。
 家から喫茶店まで歩いて数分の距離にあり、長年住み慣れた通りだけに、景色などは見ていない。ただ、天気の具合で風景がやや変わる。晴れた日はポプラ並木と青空が鮮やかに映え、名画を観る如しだ。その程度の変化なのだ。
 そして、開いているのか閉まっているのか、わかりにくいその喫茶店も、いつもの如くで、特段注文すべきものではない。
 そのドアを開けると、薄暗い店内が目にはいる。それは一瞬で、入り口近くのいつものテーブルが開いているかどうかを確認する。客の少ない店だが、宮本が座る席は人気があるらしく、他の常連客が座っていることもある。
 その場合は、店内中程のカウンター近くのテーブルへ移動する。
 その日は、その心配はなく、いつもの席に腰を下ろせた。
 マスターはドアが開く音で来店者がわかるようで、お冷やとおしぼりの用意をし始める。
 ここまではいつもの所作だ。
 だが、その先が違っていた。
 宮本の所へ来ないで、奥のテーブルへ向かったのだ。
 宮本が店に入る前に、先に入った客がいるとは思えない。なぜなら、通りから喫茶店へ向かっているとき、そういう人影は見なかったからだ。
 マスターがおしぼりとお冷やの用意をするのは、客が入ってきてすぐだ。だから、宮本の直前に入った客がいると言うことだろう。
 奥のテーブルは、入り口近くの宮本の席からは見えない。煉瓦の仕切りが目隠しになっているためだ。
「先客とは、自分ではないか」
 宮本はあらぬ想像をした。妄想といってもいい。
 奥のテーブルにいる客は、実は自分ではないかと……。だが、自分なら、奥へ行かない。しかし、それを知らないもう一人の自分が奥へ行ったのではないか……。
 そう考えないと、ほぼ連続してドアを開けた客がいることの説明がつかない。
 ただ、ぼんやり通りを歩いていたので、先客を見ていなかった可能性もある。
 宮本は、もう一人の自分が一歩先に入ったこと、そして、今座っている自分はマスターには見えないのではないか……と、興味深い発想をした。
 そして、おそるおそる、仕切になっている煉瓦の横から奥を見た。
 マスターがおしぼりとお冷やをテーブルに置き、注文を聞き、カウンターへ戻ってくるところだった。
 そして、客を見た。
 年格好は似ているが、自分ではない。
 宮本はほっとしたが、まだ、もう一人の自分説は捨てきっていない。
「あ、いらっしゃ。すぐに……」
 マスターには宮本が見えるようだ。
 これで、ほっとした。
「客が来ないと思って、奥で用事してたんです。すみません」
 すべて氷解した。
 宮本はそういうことを想像する自分が、ちょっと怖かった。
 
   了


2011年1月30日

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