小説 川崎サイト

 

意見

川崎ゆきお



 吉田は青春時代、いろいろな人の意見を聞いてきた。聞く耳を持ち、何でもよく聞いた。
 そのほとんどは自慢話ではなかったのではないかと、最近思うようになっている。
 それは、吉田が若い人に話すとき、自分の意見というより、自慢話に流れてしまうことに気づいたからだ。
 つまり、吉田もある年代になり、若い人に意見を求められると、同じようなことをやっているのに気づいたのだ。
 吉田は経験論者ではない。しかし、自分の経験を話すとき、それが非常に気持ちがよい。
 きっと若い頃、吉田相手に話していた人々も、そんな感じで自慢話へと流れていったのだろう。
 そう考えると、あのとき聞いた話や、為になる話は、吉田の為にではなく、本人のカタルシスのためだった。
 吉田は若い後輩と別れた後、そのことを考えた。
 しかし、吉田は薄々それに気づいており、自慢話ではなく、苦しい話を多くしていた。つまり、失敗談だ。
 これは語っているだけでも苦い。だから、気持ちはよくない。
 だが、年をとるに従い、徐々に自慢話が混ざるようになっている。
 ところで、吉田が若い頃から人の話に耳を傾け、人の意見をよく聞いてきたのだが、それが役立った試しがない。
 つまり、吉田には自分の意見がないため、人の意見を自分の意見とする癖がある。
 これは自分で考えた意見ではないため、自分は傷つかないのだ。
 要するに防御の為だったのだ。
 そして、改めて思うのだが、自分の意見が未だにない。感情はあるが、それは意見ではない。
 それでも何とか生きてこれたのは、自分の意見など大したメリットはないことだろう。ないからこそ生きてこれたのではないかと、最近を思う。
 だが、先輩たちが自慢話に走るのを見ていると、それだけは避けたいと感じている。
 もしかすると、それこそが、吉田の意見かもしれない。
 
   了


2011年2月16日

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