小説 川崎サイト

 

行く

川崎ゆきお



 ターミナル付近の喫茶店だ。
「バスが行く」飯田が呟く。声にこそならないが、静かな場所なら、人に聞こえるかもしれない。つまり、発声状態で、内面の、心の中での呟きではない。
 飯田はバスターミナルに出入りしているバスを見ている。それをぼんやり喫茶店のガラス窓越しに見ているのだ。
 大した意味はない。
 別にバスに乗る用事はない。
「電車が出る」
 隣のテーブルにいる岸和田が同じように呟く。しかし、完全に声を殺していなかったのか、飯田にも聞こえた。
「バスが行く」飯田も声を殺しきらない呟き声を発する。
 岸和田に耳に入る。
 岸和田は中年で、飯田は老人だ。
 二人とも、ぼんやりと外を見ている。
 共通する何かがある。
 岸和田は行く会社を失い、いつもの電車に乗る必要がなくなったのだ。
 飯田は出歩くネタが見つからず、ターミナルに入ってくるバスの行き先ばかりを見ている。それに乗ったとしても、喫茶店で座っている状態と変わらない。
 バスの終点に着けば、帰りのバスを待つだけだ。だから、少しは気分の違う場所で一服したいと思い、行き先を気にしている。
 ターミナルから出る市バスは市街地のはずれに向かう。住宅地だ。特に見るべきものはない。
 しかし、一つだけ気にかけている行き先がある。公園行きだ。ちょっとした植物園がある。しかし、これも住宅地に着くよりは、少しだけまし程度で、気分が乗らない。
 岸和田は再就職のため、電車に乗り、都心部のハローワークへ行くべきだと考えながら、こちらも気が乗らない。
 リアルなものを突きつけられるのが重いのだ。どうせましな就職先はない。しかし、就職活動をしていないとまずい。だから、嫌でも通う必要がある。
「バスが行く」飯田が呟く。
「電車が行く」岸和田が呟く。
 
   了



2011年2月19日

小説 川崎サイト