幸せ
川崎ゆきお
「幸せを感じる時って、どういう時ですか?」
「一日の中では今から寝る時ですかな」
「時間の話ではなく、幸せを感じる瞬間のような」
「瞬間。それはまた早い。一瞬なので、幸せなど味わえないのでは?」
「そういう意味ではなく、幸せだと思う時です」
「その時って、時間ではないのですな」
「はい、そうです。時間はいつでもいいのです」
「そうですねえ。それはかなり抽象的ですなあ」
「それで結構です」
「それを聞いて、どうなさるおつもりかな」
「参考にします」
「あ、そう。参考程度ですか。その程度のことでは話せませんよ」
「参考というより、いろいろご意見を集めて、分析したいのです」
「誰が?」
「私がです」
「何のための分析かな? あなたが幸せになるための分析なら協力してもいいが。ただの研究材料にされるのなら、お断りだ」
「当然、参考になり、いろいろ考えてみたいと思います」
「考えるだけかな」
「あ、はい」
「実行は伴わない」
「それは、お聞きしてからの話で」
「だから、寝る前が幸せな時だといっておるじゃないか。これでは、参考にも分析にもならんのかな」
「できれば、もう少し人生論的なお話がいいのですが」
「人生は寝ることだよ。これに勝るものはない。立派な人生観じゃないか」
「できれば、起きてからのお話がいいのですが」
「起きて?」
「昼間のお話が」
「昼寝もいいとは思うが、起きた時、焦るのでな。だから昼寝の前は幸せだとは思えん。それに長い時間眠れんだろ。昼寝なんだから、小一時間じゃ」
「その、何か、生き方のようなものとか、あるいは体験談のようなものとか、ドラマッチックなもので、ありませんか」
「あなた、幸せを決めてかかっておるじゃろ。じゃ、どんなのがいいのか例示しなさい。色々人から聞いて、集めておるのじゃろ」
「思わぬ人に助けられた話などがあります。ある善意が、周り回って自分に戻ってきたのでしょう」
「ああ、わかった。そういういい話がいいのじゃな」
「はい、そうです。ハッピーな」
「その場合、善意という元手が必要じゃな。それをしないと幸せはやってこない」
「いえ、その人は善意だとは感じないで、自然な行為で戻ってきたのです」
「つまり、良い性格者になる必要があるということか」
「元々、そういう人だったのです」
「うーん、そういう話は難しいのう。苦情ばかりくるからのう。しかし、それを不幸せとは思っとらんよ」
「幸せは主観的事実だと思うのです」
「じゃあ、寝る前が一番幸せも、許されるではないか。本人がそう思っておるのだから」
「それは毎晩ですか?」
「おお、やっと話を聞く気になったか」
「参考までに」
「どうせ、つまらん話なので、参考レベルで聞くのじゃな」
「いえいえ」
「毎晩ではないぞ。明日いやなことがある前の晩は、決して幸せな眠りではない」
「なるほど」
「だから、明日良いことがあるから、良い眠りにつけるわけでもない」
「ほほう」
「つまり、明日は何もない日が一番よい」
「ああ、わかりました。幸せとは平凡なことだという意味ですね。また、幸せとは小さなものに宿っているともうします。そのパターンですね」
「いや、平凡か小さいか知らぬが、これからゆっくり眠れると思うと、幸せな気分になれるんじゃよ。これは、どういう意味だ。分析したまえ」
「それは死と再生の快楽で、幸せというレベルではありません」
「しかし、あなた、幸せは主観的事実といったじゃないか。それを幸せととるのはわしの主観の勝手じゃないか」
「はい、どうぞお勝手に」
話は、ここで途切れた。
了
2011年2月26日