菓子箱
川崎ゆきお
「寒い中、わざわざおいでいただいて恐縮です」
「いえいえ、ご機嫌伺いですよ」
前田長老は座布団を出す。
「いいですなあ。こういう和室は……落ち着いていて」
訪問者の北村が布団を使う。正座だ。
「ああ、足を崩して結構です。あぐらでも何でも」
「それは長老に対して失礼ですので」
「そこまで礼をとっていただけるほど、私にはもう力はありませんよ」
「なにをなにを、陰の実力者として、まだまだ影響力をお持ちのはず」
「さあ、それはどうだか、あなたたちが勝手に作った神話かもしれませんよ」
これはつまらないものですが、ほんの手みやげ」
北村は四角い箱を風呂敷から取り出す。
「石鹸なら間に合ってますよ。重くてもう棚が一杯だ」
「ほんの菓子箱で」
「菓子か。うんうん。なにかな」
「長老のお好きな虎屋のどらやきです」
「おおそれは、早い目に食べないと、餡が固うなると、おいしくいただけませんからな」
長老はバリバリと包装を破り、菓子箱の蓋を開ける。
そこにはどらやきが二列に並び、合計十個ある。
「うーむ」
どうかなされましたか、長老」
「いやいや」
長老はじっと菓子箱の中を覗いている。
そして、どらやきの一つを手で持ち上げる。
「いかがでしょう?」
「重いねえ。餡が詰まっておる証拠」
「はい、たんまりと」
「うむ」
「気に入っていただきましたでしょうか」
「うーん」
長老は思案顔だ。しかし、自然な表情ではなく、どこかわざとらしい」
「どらやきは十個あります」
「それだよ」
「あ、はい」
「十個はね」
「少ないと」
「多すぎる」
「はあ?」
「三日で食べるとして一日三つは食べないと。この量は少し多いんだよ。それにね、この種のものは三日以内がいいんだ。それを越えるとやはり固くなる」
「先ほど長老は多すぎるといわれましたが、どういう意味でしょう」
「だから、今説明したじゃないか。聞いていなかったのかね」
長老は、一つ目のどら焼きを一気に食べた。
「あっ」
「なにを驚いておる。まあ、失礼ではあるが、こういうのは一気に食べるのが一番おいしいのじゃ」
「あ、はい」
「十個のうち、この一つは」
「一つは?」
「なかったことにする。食べなかったことにする」
「どういう意味でしょうか」
「サザンがクじゃ」
「そ、それは」
「勘の悪いお人じゃなあ。一日三個。三日で九個。割り切れる数にしたまでよ。だから、今食べた一個はなかったことにしたのさ」
「あ、はい」
「あ、そうじゃ。あなたもいかがかな。ああ、悪い悪い。それ以前の問題があった」
「そ、それは何でしょうか長老」
「お茶を出すのを忘れていた」
了
2011年3月16日