小説 川崎サイト

 

家電書

川崎ゆきお



 菜の花が咲いている。蓮華も咲いている。
 岩村は花咲かない。
 先日散ってしまった桜は緑の葉をつけている。新緑が鮮やかに映える。
 岩村は花が咲いているのを見て、ある古典を思い出す。花伝書だ。園芸の本ではない。
 芸に関する本で、人は誰でも一度は花が咲くらしい。華々しい時期があるようだ。ただ、花なら何でもいいというわけではない。日陰でもよく育つドクダミも花が咲く。だがそれを人はめでない。めでたくないためだ。
 岩村はもう人生の半ばにさしかかっている。
 花咲いたという自覚はない。だから、まだこれからだろうと思う。遅咲きの桜があるのだから、花開くのを待つべきだろう。
 しかし、気づかないうちに咲き終えていたのかもしれない。だが、人に「咲いてましたか」と聞くわけにはいかない。もし、咲いていたとすれば、もう待つ必要はない。終わったのだから。
 花伝書という芸の本を知る前は、家電製品のマニュアルかと思っていた。
 家電の好きな岩村は、本体以上にマニュアルを読むのが好きだった。使い方や注意書き、そしてライバル商品とのスペックでの差などを調べる。
 そしてよりコストパフォーマンスの高い商品であることを確認できれば満足が得られた。高い金を払えばよりいいものが手にはいる。しかしそれでは芸がない。
 だから、家電も芸のうちなのだ。家電そのものではなく、その選び方が、だ。
 人は一度は花開く。それは誰にも訪れる。問題はその後らしい。
 しかし、岩村は「その後」がいつなのかがわかりづらい。ずっと「その後」をやっているような気がする。
 芸の達人は花開いた後、地味になる。派手さや大げささが消え、淡々とした芸風になる。枯淡の境地だ。
 しかし、岩村は最初から枯淡の境地だったような気がしてならない。
 何となく、最初からあきらめムードで、適当にやっているからだ。
 蓮華を見ながら、散歩を続けると、アスファルトの割れ目にタンポポも咲いている。
 だが、よく見ると背が高い。外種だろう。
 岩村はまだ気にしている。
 気づかないうちに咲いていたのか、またはまだ咲いていなくて、これから咲くのだろうかということだ。
 野の花のような花なら分かりやすいが、人生の花はわかりにくい。
 何かに成功すれば、花開いたことになるのだが、別にこれといったことはしていない。
 好きな家電も最近は買っていない。正社員からバイトに落とされ、余裕がなくなったからだ。
 だから、最近は家電書は読んでいない。
 そのため、芸も磨けない。

   了


2011年4月16日

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