小説 川崎サイト

 

壁の目

川崎ゆきお



 ワンルームマンションの一室。平岡が目覚めるとすぐに視線を感じた。誰かに見られているような感じだ。
 それは感じでしかないと思える。なぜなら誰も人はいないからだ。人から見られている、または覗かれているはずはない。
 キッチンや風呂場とのドアは開け放してある。冬でも閉めない。少しでも広い部屋に見せたいためだ。
 平岡は窓を見る。いつも遮光カーテンを垂らしている。カーテンレールにまだ取り付けていないため、ひっかけているだけだ。
 平岡はカーテンをまくる。ガラス戸越しに見えるのは朝の空で、輪郭がわかりにくい曖昧な雲が散らばっている。マンションの三階で、下は二階建ての家が並んでいる。
 平岡はガラス戸を開け、洗濯物を片づける。そして、ぐっと手すりから下を見る。誰かが昇ってこれそうな足場はあるものの、そんな酔狂な人間がいるわけがない。ヤモリごっこが好きな人以外。
 隣室との仕切り板はそのままだ。乗り越えられなくはないが、両隣の住人がそんな真似をするとは思えない。右は学生で、左は老人だ。顔を合わせば挨拶ぐらいするが、それ以上の関係はない。
「壁の目?」
「はい、壁に目玉があったのです」
「大きさは?」
「目玉焼き程度の」
「一つですか」
「はい。単眼でした」
「一眼ですね」
「はい、片目だけでした」
「位置は?」
「ちょうど大人の身長と同じ位置」
「壁でしたね」
「はい、壁に目玉が」
「穴ですか」
「目玉です」
「触りましたか」
「いえ、怖くて、近づくと黒目が動きました。動揺しているときのように」
「え、誰が動揺を?」
「目玉がです」
「目玉は壁に張り付いているのですか」
「違います。壁の目なんです」
「魚の目のようなものだと」
「そうです。壁の目で、壁に目があるのです」
「つまり、壁に目玉がくっついているのではなく、壁と目は一体のものだと……」
「そうです」
「どうして、壁に目ができたのでしょうね」
「さあ」
「それは、今もいますか」
「はい、だから、もうあの部屋へ帰りたくないんです。引っ越します」
「わかりました。じゃ、別のマンションを斡旋しますよ」
「お願いします」
「それと、家具ですがね」
「大事なものは、鞄に入れて、持ち出しました」
「ベッドやテレビとかは引っ越し屋に運ばせますよ」
「お願いします」
「出たのなら仕方がない」
「知っていたのですか」
「前の人はポスターを貼ってましたよ。気にしなければ、別に問題はないのですよ」
「でも、視線がいやなので、僕はどうも」
「はい、わかりました。世の中にはそういうことが気になる人もいるようですから」
 
   了


2011年4月21日

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