小説 川崎サイト

 

ビジネスマン

川崎ゆきお



「おやっ」と思うまで三村は三ヶ月ほどかかった。その思いは気になる程度で、三村の仕事や生活に影響を与えるものではない。
 ビジネス街だった。その昼休み、三村は外食のため、近くのレストランや飲み屋、喫茶店などで昼飯を食べに行っている。特にこだわりはなく、財布の中身も気になるが、混み具合や、その日の腹具合で適当な店を選んでいる。
 喫茶店でカレーを食べることもある。会社から一番近いため、たまに利用している。
 三ヶ月かかったというのは、昼だけではなく、朝一番で取引先との打ち合わせで喫茶店にはいることもある。これは希なことだ。月に何度もない。
 また、会社帰りに同僚と飲みに行くこともある。この近くの居酒屋やスナックだ。
 三ヶ月目に気づいたことだが、それは、重役タイプの恰幅のいい男のことだ。
 三村はよく見かけるのだ。オフィスが多いので、この近くで働いている人だろうと思っていた。
 その男、蟹田といい、この近くに住む隠居さんだった。ビジネス街とはいえ裏に回ればまだ民家が残っている。そこに蟹田は住んでいたのだ。
 蟹田は工場を退職後、息子夫婦と一緒に住み、孫も大きくなり、何をするともない隠居さんになっていた。
 老人のコスプレイヤーと言うべきだろうか。何に扮するのかというと、それが会社の偉いさんだ。重役風扮装だ。
 本皮のビジネスバッグ、仕立てて体にあったスーツ。これらの服装は、扮装ではなく、現実に存在するふつうのアイテムなので、作らなければできないものではない。
 蟹田は朝から出かける。早朝からやっている喫茶店でモーニングを食べる。ポケットからスマートフォンを出し、何かをチェックしているように見えるが、実は動画を見たり、ゲームをしているのだ。
 テーブルにはシステム手帳やネットブックが無造作に置かれている。スケジュール管理をやっているのだが、日記のようなものだ。
 朝食が終わると家に戻る。次は昼の混雑時に食堂街に出かける。
 夕方からもまた出かけ、居酒屋やバーのカウンターで一人飲んでいる。しかし、立派な皮表紙のシステム手帳を広げて太い万年筆でなにやら書き物をしている。書かれているのは、今何を食べたか程度のメモだ。
 三村が三ヶ月かかったのは、その遭遇頻度が三ヶ月必要だったという意味だ。つまり、よく見かける偉いさん。忙しそうなベテラン重役ということだ。
 だが「おやっ」と気づいただけで、それ以上の展開はない。
 
   了



2011年6月7日

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