小説 川崎サイト

 

山の神

川崎ゆきお



 ある青年が村の裏山に登りかかっている。村は山中にあり、よそ者が来るのは希だ。
「何の祠です」
 山道の入り口に古びた祠がある。
「山神様だよ」
 夏場の暑い時間だ。老婆は日に何度かお参りに寄っているようだ。寄ると言うより、この祠に来るのが目的で、他に用事はないようだ。
「山神様ですか」
「ああ、御山の神様だ」
「なるほど」
 老婆は不審げに青年を見るわけではない。見慣れぬ男を不振だと思うものの、表情には出さない。また、出していたとしても笑っているのか怒っているのか分かりにくい顔のためだ。表情線がすべて出てしまっているのだ。
 青年がどこから来て、どこへ行こうとしているのか、その目的は何かを知りたかったが、面倒なので、思いを消しているのだ。
 青年は人生の探訪者で、自分探しの旅を続けている。と言っても一日で終わる程度の旅で、また宿泊するわけではなく、日帰りの一日ワープだ。その日は適当に駅から乗ったバスで、ここで適当に下りたのだ。バス停前には何もなく、人里があるのかと疑ったが、渓谷を下りていくと、川岸に村落があった。この村のためにあるバス停だった。
「昔はお参りできんかったのだがな。今はこうしてできるようになっておる。もううるそう言う仕切り屋もおらんでな」
「山の神って女性の神様じゃないのですか」
「ここは男だ。まあ、山仕事の神様じゃ」
「女性も山に入って、色々仕事をしていたんじゃないですか」
「それは、村山までで、奥山へは行かん」
「奥山?」
「木こりじゃ」
「ああ、それは男子でないと駄目でしょうね。力仕事なんだから」
「そうじゃ」
「じゃ、ここは木こりの村だったのですね」
「昔の話だよ」
 青年はかがみ込みながら祠を見る。
「ご本尊、拝見したいです」
「見えておるじゃろ」
 格子越しに木像が見える。
「ああ、ありますあります」
 不動明王のような怖い形相で、両手に斧や鋸を握っている。
「珍しいですねえ」
「まあな」
 格子は観音開きになっているが、南京錠がかかっている。
「ありがとうございました。ちょっと登ってみます」
「祠に」
「いえ、山にです」
「そうだろうな。そうだろ。そうだろ」
 青年は下草で地面が僅かしか見えない入山の道を登っていった。
 
   了

 


2011年7月5日

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