小説 川崎サイト

 

レベル落ち

川崎ゆきお


「その昔……」
 そこまで言って高島は沈黙した。
「考えてみれば、昔の話ばかりだなあ。未来のこと、たとえば、この先こうなるとかの話でないと、君も飽きるだろう」
「いえ、飽きませんが」
「そうかね」
「過去を知ることで、未来を予測できます。転ばず先の杖です」
「いいこというねえ、若いのに」
「いえ」
「私も若い頃はそうだった。過去の話を聞き、未来に備える。そこまでは同じだ。だがね、未来は思っているほど過去の因果とは関係なくやってくることがある。また、過去の因果パターンとは異なる出方もある。この問題がどうも引っかかってね。だから、過去の教訓めいた話をすることに対して、少しばかりためらいがある」
「先生、僕らはそれを分かった上で、古典に耳を貸しているだけです。王道とでもいいましょうか、一番真っ先に思い浮かべる解決策として」
「ああ、それも私も若い頃そうだった。年寄りの話を聞きながら、そう思ったよ」
「未来は予測できないという話ですが、その展開はその後どうなりました」
「私の場合かね。そうだね。簡単なことだよ。目的が変わってきてね、だから得られる回答も変わってきた。だから、若い頃身構えていたことととは違うものになっておる」
「今は何でしょう」
「今かね」
「はい」
「今はねえ、健康かな」
「ああ、健康ですか」
「達者で過ごせれば何でもよくなった。そういうことだ」
「年を取ると誰でもそうなるのでしょうか」
「ならない人もいるよ。だから、私の場合に限られる。だから、普遍的回答ではないよ」
「年長者の最終到着地点が、健康に留意では、腰砕けですねえ」
「だから、それは言わないことにしておる」
「そうですねえ。若い頃は健康は二の次ですから。むしろ考えもしませんよ」
「そうだろ、しかし徐々に体がついてこなくなり、しんどい仕事はしたくなくなる」
「体力的に辛い仕事ですね」
「精神的に辛い仕事もね」
「じゃ、どんどんレベル落ちしていく感じですか」
「それを昔の人は悟ると言っていた」
「はあ」
「この境地は若い頃からいろいろやってきた人でないと出来ない。昼間よく働けば、夜の睡眠が実に気持ちよい。だから、活動は必要なんだ。若い頃はね」
「年を経ると、若い人たちではうかがい知れない超高レベルになると思っていたのですが、レベル落ちですか」
「そうそう。だから、どうせレベルが落ちるのだから、上げなくてもいいという発想も出てくる」
「それは悪魔的ですねえ。水を差す話ですねえ」
「そう、だから、大きな声では言えないって、ことだよ」
「はい、記憶にとどめる程度にしておきます」
 
   了


2011年7月28日

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