小説 川崎サイト

 

幻の京茶漬け

川崎ゆきお


 ある馬鹿正直な探偵が調査のため古都を訪れた。たいした用件ではなく、事件性も低いので、それにはここでは触れない。非常に退屈な身元調査のようなもので、しかも人間関係が入り組んでおり、甥の息子と従兄弟の叔父の関係云々などと頭が痛くなるような家系の話になる。これは割愛した方がいいに決まっている。
 さて、話は他でもない。探偵が商家を訪れたとき、そこの女将が「まあお茶漬けでも食べていってください」と、別れ際に言ってきた。探偵は腹が空いていた。初夏のことで、食欲がなく、お茶漬けなら具合よく喉を通ると思ったのだ。別にお茶漬けが食べたかったわけではない。お茶漬けと言われて急に食べたくなったのだ。
 探偵だけに世の中のことをよく心得ている。この古都で「お茶漬けを食べていけ」というのは挨拶で、本当に誘いに乗ってはいけない。さらに言う方も、お茶漬けの準備があるわけではない。ご飯が残っていなければならず、もしないのなら新たに米を洗い、炊かないといけない。
 そんな感じで、その意味でのお茶漬けを食べた人は未だ一人もいない。これがいわゆる幻の京茶漬けとしてグルメの間では有名なのだ。これを食べた人間が一人もいないのだから、食べたとすれば第一人者というか、自慢が出来る。
 さて、その探偵はグルメではなく、一般的な意味でのお茶漬けに反応しただけだ。そして、世間で言われている「口茶漬け」の都市伝説も知っている。言ってるだけで、これは挨拶で、本気にしてはいけないのだ。お愛想なのだ。
「では、よばれますかねえ」探偵は禁断の言葉を発してしまった。破ってはいけない御法度破りなのだ。ただ、探偵は馬鹿正直な人間で、真に受けてしまう形になったのだ。一応これはどうかと考えたのだが、正直が勝ったのだ。馬鹿正直がまっすぐに進んでしまったのだ。
 驚いたのは女将で、「あらま」と声まで発していた。
 幸いご飯の残りもあり、ポットにはいつでも湯が入っており、なすびとキュウリの漬け物も残っている。出そうと思えば出せるのだ。
 女将はお茶漬けを出すことにした。言葉の綾も分からぬ田舎者相手に意地悪を含ませた言葉で切り返すことも出来たが、相手は探偵だ。どこでどんな噂を流されるか分からない。ここは相手のペースに乗った方が無難に治まる。そう考えた。
 探偵は茶の間でお茶漬けを食べた。
 未だ一人として食べたことのない幻の京茶漬けの味は、ごく普通だったようだ。
 そして別れ際、「もうお帰りですか、まあお茶漬けでもどうぞ」と口癖が出てしまった。
「あ、じゃ、もう一膳」
 女将は開いた口のままになった。
 
   了


2011年7月30日

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