小説 川崎サイト

 

ある外出

川崎ゆきお


 駅の改札前で似たような年寄り二人が話している。
「お出かけですか」
「ああ、久しぶりにな」
 二人とも隠居さんのようだ。
 片方が切符を見せる。
「カードなら買わなくてもいいですよ」
「ああ、昔ほど乗らなくなったからねえ。買ったカードを仕舞い込んで忘れるほどだよ」
「片岡さんはよく出かけていたじゃないですか。休みの日なんて、家にいたこと、なかったんじゃないかと」
「いやいや、定年後、毎日が休みなのでね。毎日じゃ電車代が続かん。それに町に出りゃ何かと買うだろ。そんな金、ないしね。毎月収入が入ってくるんならいいけど、出る一方だ」
「私の場合は、出かけるネタがなくなりましてねえ。買いたいものを探すにしても、欲しいものが年々なくなってくる。欲しいと思って買ってもね、喜ばしいどころか、逆にストレスになる」
「ストレスですかな」
「そうそう、ストレス。つまらん物を買ったと後悔したりね。よく考えると、それよりいい物、持っていたり」
「なるほど」
「また、期待していたほどの物じゃなかったりね。だから、物欲も最近は薄まってますよ」
「いやいや、そうやって無駄遣いできるだけでも幸いでしょ。私なんか、買うものの質、どんどん落としていますよ」
「買い物だけじゃなくてね。いろいろなつきあいが昔はあった。それががっくり減ってしまいましてね。仕方なくつきあいで出かけていたのが懐かしいほどです。しかし、最近は断ってますなあ。行っても面白くないんですよ。それなら家でテレビでも見ながらひっくり返っている方がよほど愉快だ」
 二人は盛んにぼやきながら改札を抜け、ホームに出る。
「昔は、この電車に乗るのが楽しかった。昔と言っても子供の頃だがね。乗ってるだけでも楽しめたんだ。今は面倒なだけ」
「今日はどちらまで?」
「それがね、ないんだよ」
「ない?」
「特にね。たまには電車に乗らないと、乗り方を忘れるんじゃないかと思ってね。いやこれは冗談だが……」
「実は、私もないんだ」
「ない?」
「同じですよ。私も」
「忘れるからかな」
「たまには電車に乗り、外出しないといけないような気になりましてね。この上着、外出着なんですよ。先日スーパーで半額以下になってたんだ。思わず買ってしまいましたよ。でも着る機会がない」
「ああなるほど、私の場合は靴ですよ。ビジネスシューズっぽいでしょ。でもこれ、偽皮。安かったんで買ったんですがね。履きにくいんですよ。こういうきっちりとした靴は。いつも運動靴でしょ」
「じゃ、その靴を履くために、外出ですか」
「まあ、そうだよね」
 二人は声に出して笑った。
 
   了


2011年8月1日

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