小説 川崎サイト

 

ある共有

川崎ゆきお



「要はあなたは何がしたいかですよ」
「僕がですか」
「給料や待遇の差はほとんどありません。書類ではそうなってますが、実際に行ってみると実情は違うかもしれませんがね」
「交通費支給と、交通費全額支給の違いは何となく分かります」
「補助ですね。交通費の。全額ではなく、たとえば新幹線で通われたら困るでしょうから、そのあたりは常識的判断で」
「営業と事務の違いなんかはどうなんでしょう」
「募集しているのは営業マンでも、事務に回ることもあるし、その逆もあるでしょ。その方がふさわしいと思えば、そうなる可能性はあります。これも任意で、きっちりしたものじゃないと思います。用はあなたが何をやりたいかで、ほとんどのことは決まります。それをメインにして考えてみられればいかがです」
「あ、はい」
「で、何がやりたいですか。何が自分に合った適職だと思いますか。しっかりした考えがない場合、自分の得意のもの、好きなものでもかまいません。要は相性です」
「あのう」
「はい」
「何もしたくないのですが」
「あ」
「働くのがいやなんです。特に会社は」
「ちょっと待ってください」
「ありますかねえ。そういう仕事が」
 係員はカードを取り出した。
「廊下の突き当たり左の部屋です。このカードを持って行ってください」
 青年はカードを手に、その部屋のドアを開けた。
「いらっしゃい」
 名刺には産業カウンセラーと書かれていた。
「いや、僕は産業革命を起こすわけじゃないし、産業というようなたいそうな考えは」
 男はカードを見ている。
「働きたくないとか」
「はい」
「では、ゆっくり相談に乗りますよ。まずあなたの生い立ちから話してください」
「何ですそれ」
「就労したくないのは、それなりの心の悩みがあるはずです。まずは幼い頃からの両親や家族との関係からお話願いますか」
「いえいえ」
「さあ、どうぞ。秘密は厳守します」
「あのう、僕は就職したくて、来たんですが。働きたくないのに、来るわけないでしょ」
「しかし、このカードには就労意欲なしと書かれています」
「さっきの人が書いたんでしょ。何がやりたいか話せと言うから、何もやりたくないと普通に答えただけです」
「ふ、普通」
「そうでしょ。誰だって、遊んで暮らしたいですよ。お金のため仕方なく働いているんですよ。仕事はどれも楽しいなんてものじゃなく、辛いものでしょ。そんな辛いもの、進んでやる人なんていませんよ。働かないと食えないから嫌々やっているんですよ」
「かなり重症のようですね」
「ここで紹介してくれないのなら、他へ行きます」
 男はカウンセラー室から出ようとした。
「何でも正直に答えるのはよくない」
「え」
「だから、あなたは就職できないんだ。そこんところを反省してから出直しなさい」
「はい、ありがとう」
「私も寝ていたいよ。本当に」
「でしょ」
 二人は共有するものがあったようだ。
 
   了


2011年8月7日

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