小説 川崎サイト

 

行者の穴

川崎ゆきお



 屏風岩と言うべきだろうか。あまりごつごつしていなく、壁のようにそびえている。下は激流が流れる谷底だ。
 地元の人が、観光用に作った山道がある。そこから離れた場所にあるので寄りつけないが、気になる岩肌だ。
 そういった絶壁は川沿いには至るところにあるので珍しくはない。
 上村が気になったのは、岩ではなく、穴だった。
 渓谷の自然な風景の中に、人工的なもの、人の作為を見たのだ。といっても、上村が歩いている山道そのものが作られた道で、階段や柵が設けられ、危ないところには鎖がぶら下がっている。
 上村がずっとその穴を見ていると、地元の人が話しかけてきた。観光組合から山道の整備を頼まれている林業関係の人らしい。
「気になりますかな」
「人が掘った穴ですよね」
「何百年も前の話ですよ。行者の洞窟といって、あそこで修行していたらしいです」
「でも、あそこまでどうしていくのですか」
「絶壁の上から縄梯子で降りるんですよ。今はもうありませんがね。復活させたいと組合では言ってるようですが、非常に危険なんですよ。観光に入れたいんだけど、だめなんです」
「あの穴に入って座ってみたいなあ」
「そうでしょ。だから、行けるようにしたいんですよ」
「修行者じゃなくても、いいんでしょ」
「修行だとね。縄梯子を上げてしまいますからね。もう出られない。七日ほどはそこで座りっぱなし。きついですよ」
「最近中に入った人、いるんですか」
「修行で入った人はいないですよ。修験者そのものがもういないですからね。それにきつすぎるので、寄りつかないでしょ」
「誰が」
「ああ、だから、本物の修験者も」
「あ、はい」
「中は結構浅いですよ。それ以上掘れないというか、崩れるのが怖いですからね」
「でも、よく掘りましたねえ。足場もないのに」
「最初からくぼんでいたんです。少しだけね。それを足場にして掘っていったんですよ」
「誰が」
「村の有力者ですよ。酔狂の徒かな。今もその家ありますよ。名家です。このあたりじゃ」
「じゃ、その時代には本物の行者さんが、本当にあそこに籠もって修行していたんですね」
「と、聞いていますよ。今でも中に土鍋や皿の残骸が残っていたりしますよ」
「今度くるときまでに、開放して欲しいですよ。是非入ってみたいです」
「そういう人多いんです。だから、頑張って復活させますよ。入るのは簡単なんです。梯子を下ろせばいい。まあ、岩登りと同じですよ。この場合、岩下りですがね。ただ、それで事故られるといけないので、許可されないんですよ」
「最近中に入った人、いますか」
「僕が入りましたよ」
「ほう」
「落ち着きますなあ。仙人になった気分になれます。でも、三時間が限界。やることがないからです。まあ、座ったままじっと修行する場ですからな」
「下手をすると落ちそうですね。うたた寝していて」
「そうなんです。意外と浅いんです。奥が」
「修行は七日間ですか」
「そう言われています」
「ギブアップはどうするんです」
「木の枝に衣服を結んで合図するらしいです」
「気づいてくれなければ大変ですねえ」
「山仕事の人が、よく見てますよ」
「毎日じゃないでしょ」
「二三日うちには誰かが気づきますよ。合図」
「なるほど」
 男は、観光遊歩道の見回りがあるからといって、立ち去った。
 
   了


2011年8月13日

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