小説 川崎サイト

 

老眼鏡ケース

川崎ゆきお



 佐々木は気づいた。
 自転車のブレーキをかけ、大きくハンドルを回し、Uターンする。閑静な住宅地の道なので空き地のようなものだ。一般の車両はほとんど入ってこない。佐々木のようにこの町内に住んでいる者しか通らない道路なのだ。
 家を出てから間もない。まだ町内から出ていないのだから。これがもし中間地点なら、引き返すのをやめたかもしれない。だが、それに気づいたのだから、喫茶店へは入れないだろう。入っても用が足せないためだ。それは単に読書なのだが。
 佐々木が気付いたのは老眼鏡を忘れてきたのではないかということだ。鞄の中に入っているかどうかが不安になった。トイレで雑誌を読んでいるとき、眼鏡を使った。読書用の強い目の老眼鏡だ。
 鞄の中にいつも入れているのは、外出用だ。これを鞄の中から出し、トイレに入ったのだ。その後、どうしたのかは忘れている。
 鞄に戻した記憶がない。
 佐々木は家の前に自転車を止め、鞄の中を確かめる。忘れたとすればトイレの中だ。しかし、入れ戻した可能性も否定できない。家の鍵を開け、トイレまで見に行くのが面倒になった。
 鞄のファスナーを開け、眼鏡ケースを探す。すぐに長財布が見つかる。これではない。雑誌や本の下に手を突っ込む。すると、水色の眼鏡ケースらしきものが目に入った。
 やはり鞄の中に戻していたのだ。トイレから出たとき、眼鏡を手にしていたのだ。そして、鞄の中に戻したに違いない。その記憶はないが、きっとそうしたのだろう。
 それで、無駄なUターンになったと思いながらも、そういうことに気付くことが大事なのだと自分に言い聞かす。以前、老眼鏡を忘れて喫茶店に入り、本も雑誌も読めなかったのだから。
 家捜しする手間が省けたことを幸いに、再び自転車で喫茶店へ。
 そして、店内で鞄を開け、本を取り出し、眼鏡を取り出そうとしたのだが、眼鏡がない。
 眼鏡があることは先ほど家の前で確認したはずだ。その後落としたのかもしれない。
 だが、鞄のファスナーは閉まっていた。それならば本を取り出すとき、眼鏡も一緒に飛び出たのかのしれない。だが、座席や床を見るが、眼鏡ケースは見当たらない。
 佐々木は鞄の口を大きく開け、中の物をひっくり返しながら探す。封筒や、領収証。何かのカタログや冊子が出てきたが、眼鏡はない。内ポケットには眼鏡ケースは入らない。大きいためだ。残るのは鞄の前ポケットだ。ここに眼鏡を入れた記憶はないし、また、今まで入れたこともない。眼鏡ケースが長いので、ぎりぎりのため、入れるのも取り出すのも面倒なためだ。しかし、もしやと思い前ポケットのファスナーを開けてみる。
 だが、ない。
 念のため、もう一度メインポケット内を確認する。長財布がある。
「これか」
 佐々木はやっと理解できたようだ。
 長財布と眼鏡ケースの色は同じで、質感も同じなのだ。ただ、大きさが違う程度だ。
 しかし、玄関先で確認したとき、長財布をまず発見し、次に、底の方ある眼鏡ケースを見た。鞄の中かをかき回しているとき、上にあった長財布が底のほうにいっただけなのだ。
 後で、部屋で見ると、長財布は濃い青で、眼鏡ケースは普通の青だった。そして材質はどちらも偽皮だ。触っただけでは分からない。しかし、佐々木は見たのだ。だが、玄関先の薄暗い外灯の下で見たため、色の濃度までは確認できなったようだ。そして、出来れば玄関の鍵を開け、トイレまで探しに行きたくなかったのだろう。
 
   了
    


2011年8月29日

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