個人世界
川崎ゆきお
ずっとある事柄を意識していると、気付きやすい。ある事柄は自動的に決まる。ついつい気にしているためだ。ではなぜそれが気になるのかは、任意の世界だ。この任意こそが、個人世界なのだ。
だから、個人の事情で、ある事柄が変わる。そして、気にしていることは一つではないはずだ。複数の気がかりが並行して進んでいる。途中で消えてなくなる事柄もあるだろうが。それはアクティブから外れたと言うべきで、気が抜けたのだろう。あまり長く気がかりを持ちすぎると、賞味期限切れになることもある。
「これは何の論文ですか、先生」
「見たのかね」
「はい、先生のホームページに載ってました」
「それは公開していない草案だ。どうして見ることが出来たのかね」
「検索で引っかかりましたよ」
「そうか、まあ、見られて悪いものじゃないので、かまわないのだがね」
「それでタイトルがないのですが、何の草稿なんですか」
「下書きと言うより、メモのようなものだ。これはね、世界についての話なんだ。だから、論文にする気はない。エッセイのようなものだからね」
「世界ですか」
「個人が見ている世界という意味での世界だ」
「要するに観念論的展開と言うことですか。世界は脳の中にあるとか」
「脳だけじゃ世界は出来ないよ。外部がなければね。だから、個人世界と言うよりは、素朴な世界観という感じだ。それでもたいそうなので、世界に対する個人的感想でもいい」
「なるほど」
「そしてね、世界観に至る前の世界がある。世界を映し出す装置のようなものだね。この装置で、世界観も変わる。世界に対する感想も変わる」
「草稿にある、気になる理由というか、原因が装置のようなものでしょうか」
「金がなければ、路面に落ちている十円玉を見つけやすい。まあ、そういうことだ」
「草花の愛好家は、通り道では花ばかり見ていると言うことですね」
「草花愛好家は、なぜ、草花愛好家なのか、なぜ、そうなったのかの原因がある。別に病気の原因じゃないがね。理由がその人にあるはずだ」
「草花ではなく、ペットでもいいとか」
「そうなるとね、一人一人に世界がある。事情がそれぞれあるわけだ」
「すると世界観とは、物語のことなんですね」
「そこまで持ち込むと文芸になりすぎる」
「それで、あの草稿、論文の下書きじゃなく、エッセイのようなものと言われたわけですか」
「そうなんだ。この問題は、感想としか言いようがない。あまりにも個々過ぎてね」
「感想ですか。じゃ、普通ですね」
「普通?」
「いえ、普通の神経で考えれば、そういうことです」
「そうだね。個人世界は見えない。それだけのことかもしれない」
了
2011年9月7日