小説 川崎サイト

 

パワースポット

川崎ゆきお



 暑い盛りだった。妖怪博士は仕事の依頼を受け、田舎の駅に降り立った。草深い片田舎ではなく、都心から電車を乗り継げば二時間ほどの場所だ。山のこちら側とあちら側とでは違うようで、その駅はあちら側にある。ここが終点だ。朝夕は通勤通学で混むようだが、その時間帯以外乗客は少ない。赤字路線だが、母体の電鉄会社が大きいため、何とかなるのだろう。
 終着駅は山の下で、その頂上に寺がある。ケーブルカーで登れるが、観光客は少なく、動いているのは土日祭日だけ。
 山頂の寺は北斗七星がご本尊だ。祭らなくても、空を見ればあるのだから、見えている神だ。星は神ではない。そのため、それを祭ってこそ神社なら御神体になり、お寺ならご本尊となる。
 ケーブル乗り場脇に休憩所がある。茶店だ。電鉄会社とは関係がない。土産物屋のようなものだ。
 妖怪博士は、そこでかき氷を食べている。早く来すぎたようだ。現地集合なので、遅れまいと早い目に来たのだ。
 そしてやってきたのは青年で、だぶっとした上着を着ている。浴衣の上だけのような感じだ。
「どうも」
 青年は先に先輩が来ているので、恐縮したようだ。妖怪博士は待ち合わせ時間を守らないとされていた。来ないので電話をすると、寝ていることが多い。寝床から待ち合わせ場所までの移動時間を考えると、結構待たされる。
 青年はそれを聞いていたので、数時間待ちを覚悟していた。
「暑くて寝てられんかっただけじゃ」
「ああ、なるほど」
 青年は合掌する。その両手首から数珠が垂れている。指輪にも何やらいかがわしそうな彫像をはめている。
「初めまして、パワースポットの青木です」
「ああ、電話の人だな」
「はい」
「青木さん」
「はい」
「簡単な名前ですなあ」
「あ、本名です」
「なるほど」
「今回は、山頂のお寺ではなく、ここから少し上流にある渓谷なんです」
 そこにパワースポットがあるらしい。妖怪博士からお墨付きをいただきたいようだ。
 妖怪博士は自分にはその権威はないので、何の宣伝にもならないと断ったが、見るだけ見て欲しいということだった。面倒なので断ったが、交通費と謝礼は出す。そして町より涼しい場所なので、涼みがてら来られてはいかがでしょう……と、くどく誘われた。他に用事はないし、部屋の中でエアコンなしでは、暑いだけなので、乗ってしまった。
 青木はアイスコーヒーを注文するが、ないらしく、冷たいお茶とわらび餅にした。
 茶店の婆さんはわらび餅は体を冷やしてくれるので、アイスコーヒーより効果があると説明した。メニューの紙切れを見ると、かなり高い。
 青木は各地のパワースポットを回り、それを紹介したムック本を出している。最近は知られていないパワースポットの発見に力を注いでいる。
「温泉のようなものかね」
「そうですね。秘湯のような」
「それが、この近くにあるのか」
「はい、山頂の寺は、もう知られすぎていますから」
「これから行く場所は遠いのか」
「バスが出ています。そこから渓谷に入り込む必要があります。バスの便が悪いので待たないといけませんが」
「車で行けばよいのに」
「持ってないんです」
「あ、そう」
「車だと運転にしないとだめでしょ。電車やバスだとぼんやり外を見られます。妖しい場所からの電波を受けやすいんです。それで、たまに出物があります」
「出物?」
「拾いもののようなもので、移動中偶然見つけた巨木がそうだったりして」
「何が」
「ですから、その巨木周辺がパワースポットだったわけです」
「なるほどねえ。しかし、こんな暑い日は、車があれば便利だと思うのだがね」
「すみません。現地集合で、ここまでお越しいただいて」
「交通費はいつもらえるのかね」
「はあ?」
「二時間かかったんだよ。ここまで結構な出費でね。この茶店できつねうどんを食べようと思ったのだが、高くてねえ。観光料金だろう。それはまあいい。ここにもここの事情があるのだし、またどう見ても儲かっているような店じゃない。店が問題なのではない。私が問題なのだ。下手をすると帰りの電車賃が最大問題になる」
「うどん代なら出します」
「そうか」
 妖怪博士は婆さんに声をかけた。
 青木は財布から交通費です……と、万札を出す。
「ほほう。これはこれは、満足を得ましたぞ」
「領収証はよろしいですから」
「あ、そう。で、君、領収証は持っておるかね」
「事務所にありますが。持って来ていません」
「私も持ってきておらん。だからたとえ領収証を出せて言われても出せん」
「はい、交通費の領収証いりませんから」
「ところで、パワースポットまではバスだと言っていたが、まだ待つのかな」
 青木は時刻表を写したケータイ画面を見ている。
「あと三十分ほどです」
「じゃ、私が遅刻したらどうなった」
「三十分の遅刻なら大丈夫なように」
「あ、そう」
「三十分以上の遅刻なら次の次のバスになります。これは二時間待たないとだめですが。そのときは山頂までケーブルで行き、見学して、戻ってくれば、間に合います」
「山頂の寺は関係ないのだろ」
「関係ありませんが、そこもパワースポットなので、何かの参考になるかと思います」
「君は登ったことがあるのかい」
「小学校のころにあります」
「今回の仕事では関係ないんだね。その北斗七星の神社だか寺は」
「全く関係がないとは言い切れませんが、今回は新スポットのみの調査なので」
 妖怪博士はきつねうどんを平らげたので、手持ちぶさたになった。
「ところでなぜ上のお寺へは行かないんだ」
「先ほど説明しましたように、バスの待ち時間用で」
「そうだったね。私が遅刻したとき用だったね。まあ、それはいいが、パワースポットとしては上のほうが強いのではないのかね」
「はい」青木はその通りだと頷く。
「では、どういうことだ」
「既に紹介され倒しているので、今ひとつなのです。やはり隠されたパワースポットでないと仕事になりません。それに上のお寺、宗教色が強すぎるのです」
「ああ、そうなんだ。寺は宗教関係だ」
「寺となっていますが実は神社系です」
「上の寺は神社なのかね」
「先生もご存じのように、昔は寺と神社はごっちゃでした。そういう解説、面倒ですからね。だから、上の寺は扱わないことにしています。僕は専門家じゃないので、苦手なんです」
「しかし、このあたりじゃ一番高い山じゃないか。パワーが周囲に行き渡っておると思うが」
「それじゃパワースポットにならないんです。スポットですからね。非常に狭い範囲でだけ有効……というのがいいのです。秘湯のような、知られていないことも大事なんです」
「ああ、了解した」
 バスの時間が近づいたので、二人は茶店を出た。
 バス停とケーブル駅、私鉄の駅は狭い谷間なので隣接している。
 私鉄の終点なので、そこから先の足はバスとなる。この電鉄会社とは違うバス会社のようだ。この支線そのものが赤字なので、バスまでは手が回らないのだろう。支線そのものがサービス品のようなもので、本来なら、とっくの昔に廃線になるところだ。それが出来ないのは、山頂行きのケーブルもあるからだ。
 背もたれがブリキの看板のベンチに二人は座り、バスを待っている。しかし、これから乗るであろうところのバスは目の前にいる。ここが始発なのだ。時間が来るまで待機している。
「先ほどの宗教の話ですが、山頂の寺は、大きな宗派なんです。まあ、お寺さんはどこかの宗派に所属していますが」
「何が言いたいのじゃ」
「宗教色というか、はっきりとした宗派に属したものは、手垢がつきすぎているのです。特定の宗派が駄目なんじゃなく、既成の宗教が駄目なんです」
「駄目って、君の知識が及ばないから、駄目ってことかね」
「客層です」
「客」
 僕の読者です。
「君はパワースポット研究家じゃなかったのかね。名刺にはそう書いたあるぞ」
「実はフリーライターなんです」
「ジャーナリストかい」
「はい。先生のことは、知り合いの編集者からの紹介です」
「ああ、いつもうちに来るあいつか」
 妖怪博士付の雑誌編集者のことだ。ネタを取りに毎月妖怪博士のところへ顔を出している。だが、もう仕事とは関係なく、趣味のようにものになっていた。その雑誌はミステリーを扱っているが、妖怪の特集をするのは希だ。ただ、継続的に妖怪博士をマークしておけば、面白いネタが得られるのではないかということで、編集長が命じていた。
「すると私は、君の書く記事の手伝いかい」
「はい、パワースポットを集めたムック本を今書き下ろしているのです。もうネタがなくなってしまいまして。今回は極秘パワースポットです」
「北斗七星の妙見菩薩じゃ駄目なのかい。ここまで来たんだから、ケーブルに乗ればすぐじゃないか」
「そちらは、先生の専門かと思います。僕はあくまでもパワースポットにこだわりたいんです。既成の場所じゃなく、宗教色の強くない場所で」
「妙見菩薩は私の専門じゃないぞ。妖怪が専門なのでな」
「あ、そうでした。でも何でも扱われると聞いたものですから」
「寺社と妖怪が絡んでおれば、私のジャンルだ。しかしねえ君」
「はい」
「妖怪などはおらんのだよ」
「はい。それは分かっています。パワースポットも実際にはないことも」
「それは因果だ」
「因果関係ですか」
「そうとも、ないものをあると言わないと食っていけぬ実に因果な稼業だ」
「そうですねえ」
 二人は共有するものがあるようだ。
「出来れば、行くのも面倒なので、行ったことにして、記事にしたかったのですが、たまには本当に行かないと駄目だと感じまして」
「行かないで書いていたのかね」
「半分以上は行ってませんよ」
「ほう、感心だね」
「行ってもパワースポットなんてないんですから。無駄なのです」
「じゃ、記事にならんじゃないか」
「ですから、その周辺を書くことで、何とかごまかしています。それに、僕の本を見て、本当に行く人なんていないですよ。読者も分かっているのです」
「何を」
「何をって、決まってます」
「決まり事かね」
「はい。本当らしい嘘だと。だから、読者も行っても無駄なので、行きませんよ」
「そんな読者ばかりじゃないだろ。君の書いた記事を信用したり、興味を持ったり、また近くの人なら、見に行ったりするだろ」
「はい、そうかもしれませんが、クレームは全くなしです。それよりも、既成の宗教を弄ると面倒なんです。そちらの方が怖いです」
「そうじゃな。お化けより、信徒のほうが怖いものじゃ」
 二人はテンションの落ちる話をしている間に、止まっていたバスが動き出した。
「来ましたよ」
「それじゃ、乗らなくてもいいのじゃないかな」
「駄目ですよ先生。本物を入れないといけませんし、ここまで来たのですから今回は是非一緒に取材を」
「そうだな。ローカル線の果てまで来て、かき氷ときつねうどんを食べただけでは話がお粗末すぎるからなあ」
「僕の食べたわらび餅。グルメ記事に使えます」
「君はパワースポット専門じゃないのかね」
「食っていけないので、グルメものもやってます」
「リアルじゃのう」
 二人はバスに乗り込んだ。客は誰もいない。
 
 三つ目の停留場で二人は降りた。
「この川です」
「川が何か?」
「川は川です。特に何もありません。ただの川ですが、もう少し上流にスポットがあります」
「君はどうしてそれを知っておるのかね」
「昔、このバスに乗ったことがあるのです。その時の記憶です」
「記憶?」
「はい、あれは十年ほど前ですから高校時代でした。ほらよくあるでしょ。彷徨うというか、放浪するというか、まあ、ほんの半日ですが、知らないところへ何となく出かけて、自分自身を見つめたいとか」
「そのおり見たのかね。そのスポットを」
「いえ、そのころはパワースポットのことなんて、全く考えていませんでした。まさか、十年後、こんな仕事で訪れようとは思いませんでした」
 二人は玉砂利を敷き損ねたような河原に降り、川岸まで近づく。
「ここかね」
「バス停の前でしょ。いいロケーションではありません。もう少し上流です」
 妖怪博士は妙な顔をする。元々そういう顔立ちなので青木は気付かない。
「君が十年前に見たのはここじゃないのかね」
「そうです」
「じゃ、スポットはここだ」
「いえ、ここじゃスポットらしくありません」
「バス停が見えるからか?」
「そうです」
「十年前、なぜここで降りたんだ。何か感じるところがあったんじゃないのかい」
「感じた……はい、確かに」
「それは霊感ではないのか?」
「支線の終点に来て、さらにもっと先まで行ってみたくなったのです。駅前はまだ人の気配があります。寺への観光客もいますしね。それが期待はずれだったのです。もう少し寂しい、人里離れた場所がよかったのです。それでバスに乗りました。奥へ向かうバスです。そして二つ目の停留所を通過した辺りから、人家もまばらになり、渓谷の川沿いに出たのです。ああ、ここならひっそりしていると思い、次のバス停で降りただけです。これって霊感じゃないですよね。人の気配が薄くなってるのはわかりますよ。だからといって、特別な気配を感じたわけではありません」
「なるほど、人の気配が減ったことを感じた、という感じか」
「はい」
 つまり、何でもない場所なのだ。
 少し遡ると、川は蛇行し、河原もカーブし、幅が狭くなる。逆に向こう岸の河原は膨らみを見せている。川幅は狭く浅く、歩いて渡れそうだが、流れは若干ある。実際に足を入れると、思っている以上に足を取られるだろう。
「あの岩を回り込んだ空間が候補です」
 すぐそこまで流れが来ている淵伝いに二人は回り込む。すると、ほどよい広さの空間に出た。
「キャンプしやすそうな場所ですねえ。でも、そういう施設はないようです」
 その先は岩というより山の襞が張り出し、行く手を遮っている。
「ここにしましょう」
 青木はケータイのGPS地図を開き、その画面をコピーする。そして、一眼レフを取り出し、適当に写していく。
「GPS地図付きデジカメもあるのですよ。本が売れれば、それを買いたいところです」
「あ、そう」
「いい空間でしょ、先生」
「隠れ河原のようだね」
「じゃ、戻りましょうか。帰りのバス、迫ってますから。滞在時間ぎりぎりです」
「私は何もしなくてもいいのかね」
「随行していただいただけで十分です」
「あ、そう」
「特に、何かありますか」
「何が」
「いや、妖しいとか、不思議だとか……」
「ない」
「そうですよね。日本中至る所にある風景ですから何の特徴もない。奇岩とか、滝があればいいのでしょうが、何もない」
「で、ここをパワースポットとするわけか」「はい。結構落ち着く場所じゃないですか。憩えるし、癒やせます。バス停からも近いし」
「なるほど」
 妖怪博士はじっと周囲を見回している。
「何か?」
「いや、別に」
「気になることがあれば、おっしゃって下さい」
「見えておるなあ」
「えっ」
 妖怪博士が指さす。
「え、どこですか」
「ほらあそこ」
「何も見えませんが」
「あの山が見えとる」
「ああ、妙見の寺の山ですか。この辺では一番高いですから。ここからも見えるんでしょうね」
「あれは電波塔の役目を果たしておるのやもしれん」
「いや、リアル電波塔ですよ」
「そうか」
「ほら頂上に鉄塔が見えるでしょ」
 青木は小さなパソコン取り出し、ネットに繋いだ。
「よく来てますよ」
「電波があるように、霊波もあるのかもしれん。しかし、霊波という言葉が存在しないように、そんなものはないのだろうなあ」
「ありますよ」
「そうだなあ、あることが前提での仕事じゃからな」
「そうです」
「形而上学だ」
「現象を超越した世界ですね」
「うむ」
「先生は何を?」
「パワースポットとは霊波が出ておる場所かい」
「違います。癒やしの空間です。癒やし波でしょうか」
「霊とは関係ないのか」
「そちらはジャンル的にはミステリースポットとなります」
「ほほう、そうなりますか」
「先生はあの山から、霊波が出ていると言いたいのですか」
「そうじゃないが、パワースポットとは、霊力の強い場所ではないかと思ったもんでな」
「精神力が高まりやすい場所です。たとえば神社なんかがそうです。古道なんかもそうです。山や森、滝のそば、精神が高められ、清められるような場所ですね。ですから、霊云々が絡むとおどろおどろしくなりすぎてだめなんです。これは毒ですよ。毒素です。仏像もだめです。キャラが出来上がりすぎです。濃すぎるんです。人間くさすぎるんです。それよりも、原生林の大木なんかのほうが肌触りがいいのです。仏さんだと説教されているようで、ちょっと合わないんです。メインは自分で、パワースポットは背景なんです」
「それで君はあのお寺へ行きたくなかったのかね」
「北斗七星はいいんです。夜空もいいですしね。でも妙見菩薩になると、ちょっと弄り過ぎなんですね。星というか、星座の神様はいいんですよ。牡牛座とか、牡羊座とか、抽象的ですからね。記号ですよ。でも菩薩って、人に近い形でしょ。仏教でしょ。自然界の神々、精霊、このあたりがいいんです。先生の専門の妖怪も、西洋では精霊、妖精ですからね。でもキャラになってしまうと、そのキャラが主人公になる。そこに来た人のキャラが食われてしまうんです」
「ところで、君は将来何になるつもりじゃ」「はあっ?」
「だから、何になりたいのかね」
「ボランティア以外なら何でも」
「いい回答だ」
「ありがとうございます。それより、どうしてそんな質問を」
「パワースポット紹介業では食ってはいけんだろ」
「先生だってそうでしょ」
「妖怪研究だけではのう」
「はい、お互いに」
「さて、用事は済んだ。帰るか」
 二人はバス停へ向かった。
「しかし、これだけの仕事でいいのかのう」
 妖怪博士は物足りなげに問う。
「アリバイ作りですから」
「私が証人か。君が本当に取材に来たことの」
「はい、あとは適当に書きますから、先生も同行され、癒やしの空間だと感じたという話にします」
 岩を回り込むと、ぐっと妙見の山が迫って見えた。パワースポットから見たときは頂上だったが、中腹まで視界に入るので、そう感じるのだろう。
「妙見とは妙なものが見えると解釈したくなる。妖怪の妖と妙も似ておる」
「妙見は北極星です。中国では皇帝ですよ。より高い位置からの見識という意味でしょうね。しかし、僕は古代の人が、動かない北極星を見ていた頃の想いを大切にしたい。天にあって動かないのですからね。指針になりますよ。方角が教えてくれる星です。そこから生まれた素朴な信仰は好きなのですが、それが宗教に取り込まれてしまうと、大事なことも取り逃がすのじゃないかと思うのです」
「それは戻ってから文章にすればよい」
「はい、そうします。喋りすぎると、書けなくなりますから」
 妖怪博士が急に振り返る。
「どうかしましたか」
 そこには何でもない渓谷があるだけだ。
「いや」
「気になるじゃありませんか。何か感じられたのかと思いましたよ」
「残念ながら、私には霊感はない。何かが来ていても受信できん」
 青木も川の流れや河原を見ている。
「僕が言うのも妙ですが、変な場所ですねえ。特に変わったところはなく、平凡な渓谷なのに」
「いや」妖怪博士は神妙な顔を作る。
「やはり、何か」
「前方だよ」
「はい?」
「バス停がなかったりしてな」
「そんな」
 青木は河原へ降りてきたときの茂みの切れ目へと走った。ここにいたくない感情が背中を押したのだ。癒やしの空間ではなく、不吉な場所に変わってしまったかのように。
「おいおい」
 逃げ出すように走り出す青木に妖怪博士は声をかけるが、返答はない。
 妖怪博士は、ゆっくりと茂みの坂道を上ると、舗装道路に青木が立っていた。
 青木が指さすその先にバス停が見える。
「ありましたよ先生。脅かさないで下さいよ」
 バスはすぐにやってきた。
「まさか、これって幽霊バスじゃないでしょうねえ」青木は余裕を取り戻した。
「だと、興味深いんだがね」
 バスは普通に走り出し、ケーブル下の駅へと向かった。
 
   了

     


2011年9月29日

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