小説 川崎サイト

 

竹中ブログ

川崎ゆきお



 松下は今日のブログをアップしている。日記だ。それが日課になっている。
 そこで異変が起きた。
 松下のブログには読者がいない。アクセスカウンターは一桁で、それは間違ってきた人か、もしくは広告業者だ。
 つまり、広告業者が読者なのだ。そのため、たまにコメントが付く。書いた人をクリックすると、広告丸わかりのブログに到着する。その他迷惑書き込みも多い。こちらは住所の呪文が付いており、とんでもないサイトへ飛ばされるので、最近は押していない。
 当然それらは毎日掃除している。
 さて、異変とは謎の書き込みがあったことだ。つまり、普通のコメントが書き込まれていたのだ。
「面白かったです」
 それだけの書き込みで、コメント投稿者名をクリックすると、松下と同じブログサービスのページへ飛んだ。
 これを異変と呼ぶことは出来ない。なぜなら、これが普通のブログの風景なのだから。
 しかし、一般のコメントがない松下にとり、非日常な書き込みに見えてしまうのだ。あり得ないことだと。だから、異変なのだ。
 そのブログは竹中という人物がやっている日記ブログで、日々のことを事細かく書いていた。一日分の記事はスクロールしないと読めないほどだ。そのボリュームで毎日書かれてある。
 そして、その竹中ブログにはコメントが一切ない。コメント拒否をしているのか、投稿されたコメントをチェックし、表示不許可にしているのか、それは分からない。
 自分と同じではないかと松下は思った。コメントやトラックバック一覧は空白だ。
 全く交流していないブログ。非コミュニケーション系ブログ。クラウド上に日記帳を置いているだけで、ネットの意味はほとんどない。自分のパソコンにファイルとして置けばいいことだ。
 松下もそのタイプなのだが、窓を完全に占めきった場所に日記帳を置くより、不特定多数の人に見られる可能性のある場所のほうが楽しいと感じている。開いていると閉じているとでは全く違う。公開することの意味が大事なのだ。その意味を楽しんでいるだけのことだが。
 この竹中という人は、こうして他人のブログに来てコメントを書く発展家だろうか。と疑問を感じたのは、それなら、他の人からのコメントも付くはずだ。
 松下もお返しのコメントを入れようとしていたほどだ。
「まてよ」松下は自分らしくない発展の道を開けかかった。本当に書き込んでやろうと。
 それで、もし、そのコメントが表示されなければ、竹中ブログはコメントを受け付けない設定になっていることになる。それが分かるだけでもいい。
「ありがとうございました」と、コメントを付けた。しかし、竹中ブログの記事を読んで付けたコメントではない。自分のブログにコメントを入れてくれたことの礼なので、もう少し、丁寧に書いた方がよかった。
 そして、リロードさせるとすぐにコメントが表示された。
 松下は、自分のブログに戻り、「面白かったです」のコメントに対してのコメントも入れた。
 翌日変化はなかった。
 竹中のブログを見に行ったが、「ありがとうございました」のコメントに対してのコメントはなかった。何事もなかったかのように、竹中という人の一日が綴られていた。
 竹中ブログのコメント一覧には松下のコメントのみが表示されている。
 同じブログサービスだ。きっと広告や、迷惑書き込みがあるはずだ。竹中もそれを削除するのが日課になっているのだろう。
 しかし、謎は解けない。
 自分と同じタイプなら、他人のブログにコメントなど入れない。
 ただ、自分と同じようなブログを見たとき、何かコメントを入れたくなることが確かにある。だが、滅多に人のブログを見に行くようなことはないので、その確率は低い。
 その前に、なぜ竹中という人が自分のブログへ来たのだろうかということだ。アクセカウンターは一桁でネットの底に沈んでいる。
 検索できたのかもしれない。引っかかりやすい言葉を使っていたとしても、検索サイトの上位に来るようなことはない。
「まてよ」松下は、コメントのあった日のブログを読みかけした。
 そこに地名と店名を入れた飲食店の記事を書いていたのだ。
 ローカルな地名で、ローカルな飲食店だ。だが、この二つで検索すれば、上位に上がるかもしれない。
 松下は、その二つのキーワードをタイプした。
 すると一位だった。二位はない。
「これか」
 松下は自分のブログのアクセス解析を見た。
 どこから飛んできたのが分かる。
「これか」
 飛び元は検索サイトだった。そして、キーワードも同じだった。
 竹中という人は、地名と店名で検索して、来ていたのだ。
 幸い、その飲食店で食べた厚揚げと菜っ葉の煮物がおいしかったなど、悪口は書いていない。
「ああ」
 と、松下は声を上げた。
 竹中とは、あの飲食店の親父でないかと。
 しかし、竹中ブログには飲食店に関するブログではない。
 松下は竹中ブログをまた見に入った。そして記事を読んだ。
 そこには飲食店に関する記載はない。朝起きて、夜寝るまでの日記だが、仕事のことは全く触れていないのだ。
 次に解明しなければいけないのは、何が「面白かったです」かだ。
 昨日確かにあの飲食店に行ったことは確かだが、面白いことを書いたわけではない。
 すると、これは、別のことで「面白かったです」になる。
 別のこと。そんな面白い記事は、その日の日記にはなかった。
 松下は気になった。
 そして、その飲食店へ行くことにした。
 何が面白かったのかを、松下に聞くためだ。
 そして、その結果は、日記には書けなかった。
 飲食店の親父にブログのことを言ったのだが、妙な顔をされただけだ。
「私ね、プロクやってない」
 プロクと言ったことで、本当にやっていないだろうと、想像できた。
 その後、松下は竹中のプロフェールページを見た。写真はない。年齢もなく、男か女かも分からない。
「親父じゃないのかもしれない」
 そして、毎日竹中ブログを見る日々が続いた。
 一日の暮らしぶりを書かれている日記なのだが、プライベートに関する記載はほとんどない。天気の話とか、草花の話。見たテレビの話。食べ物の話。そこからは竹中という人のキャラが起ち上がらない。
「そういう書き方もあるか」
 それは、松下も似たような書き方をしているためだ。自分のことはほとんど書いていないのだ。
 そうなると「面白かったです」の意味を自分で考えないといけない。
 だが、これはうすうす感じていた。
 それは、日記全体、ブログ全体の印象が面白かったのだ。つまり、ブログの運用が面白いと。
 これは、「面白い」ではなく、「興味深い」だろう。
 面白いとはほめ言葉ではない。馬鹿なやつのことを、面白いやつだという人のいる。
 要は、誰も読みに来ないようなブログをよくもまあ毎日毎日こつ湖面メン種宿やれるものだ、どういう神経なのか、それが面白い……と。
 そして、それを面白がれるのは、松下と似たブログ運営をやっている竹中だから言える言葉だと。
 松下は、これを解とした。
 
   了
 

     


2011年10月1日

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