小説 川崎サイト

 

富山ラーメン

川崎ゆきお



 インスタントラーメンに何かを入れようとしたが、ない。入れるものがない。用意する気は常にあるが、入れるものがない。問題は食材選択ではない。何を入れたいかはほぼ決まっている。その第一候補はベーコンだ。薄く切られてパックに入った、あのベーコンだ。 富山には余裕がない。インスタントラーメンをどんな感じで食べたいのかと考える時間的余裕、生活上のゆとりではなく、経済的余裕がないのだ。
 ベーコンではなくラーメンには焼き豚がふさわしいと考えたことがある。しかし、ラーメン屋でチャーシューの代わりにベーコンだとがっかりするだろう。焼き豚のほうが高いから、ラーメンにはベーコンを入れるというわけではない。ここは経済性とは関係はない。バランスなのだ。
 ラーメンを、ラーメン屋で食べる行為は富山にとり晴れの場だ。インスタントラーメンを食べるのは汚れとまでは言わないが、日常の場だ。場のバランスとして、チャーシューよりもベーコンのほうが軽く薄いので、場に合っている。つまり、インスタントラーメンに焼き豚は合わないのだ。
 結局富山はインスタントラーメンに何も入れないで作り終えた。麺とスープだけだ。ラーメンは五食分入ったお徳用パックだ。ここで「お徳」をしているのだから、余計なものを入れて損をしたくない。安く済まそうとする努力が無駄になるからだ。
 富山がラーメンを食べようとしたのは、ラーメンが食べたかったからではなく、ご飯が残っていなかった。冷やご飯をお茶漬けで食べようと考えていた。だが目論見が外れた。残っていると思っていたご飯がなかった。
 これを把握しておれば、米を炊くだろう。ラーメンに行かず、米に行ったはずだ。行けなかったのは、予定外のことが起こったからだ。つまり、残っていると思っていたご飯が残っていないことが、予定外だ。この場合、気を取り直してご飯の準備をする道もあるが、やる気が失せた。
 ご飯が残っていなかったことはさほどショックなことではない。政治的決断をするような重要事ではないのだ。米を炊こうとして電気炊飯器にスイッチを入れようとしたが、壊れていたのなら、多少はショックだろう。富山にとり、今ここで電気炊飯器を買うお金はない。そんなことをすると、食費に影響する。
 また、米も減っており、そろそろ買わないといけないタイミングだ。そんなとき、炊飯器を買うなどもってのほかだ。
 そしてラーメンを食べ終えたとき、これでぅよかったと富山は満足した。ご飯ではなく、予定外のラーメンを食べことで、変化を得たからだ。どうせご飯があっても大したおかずはない。玉葱と卵を炒める程度だ。
 ラーメンは気まぐれで食べるのがよい。ラーメンしかなかったという状態は、偶然だ。今日はラーメンを食べるぞと決心などすると、ラーメンにプレッシャーがかかる。
 また、富山の満足感の一つとして、ラーメンの買い置きがあったことだ。これは実は余裕なのだ。ご飯が切れてもラーメンがある。
 インスタントラーメンにはおかずはいらない。それだけで独立した世界を形成している。本来インスタントラーメンには、その袋の中のもの以外を入れるのは邪道なのだ。ベーコンが買えないからそんなことを言っているわけではない。もう既に出来上がった味わいの中に、余計なものを入れると、バランスが壊れのだ。
 ベーコンを入れた場合、滲み出る脂などがスープに混ざる。これは完成されたスープを汚すようなものだ。
 さらに、麺とスープをシンプルに味わっているとき、ベーコンがあるとそれに目が行く。ベーコンが目立ち、気が散って仕方がないではないか。落ち着いてラーメンを食べたければ、何も加えないほうがよい。
 富山は食後、そういうことに思い至ったのだが、いつかラーメン屋でラーメンを食べる日を楽しみにしている。
 
   了


2011年11月13日

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