小説 川崎サイト

 

三途の丘

川崎ゆきお



 とある老人の話だ。
 特に特徴もなく、特性もない。つまりプラス面で秀でた人ではない。平凡な人かというと、そうでもない。長く生きてきたので、同じように見えても、生きてきた道は違う。しかし、見た感じ、どこにでもいそうな平凡な老人だ。
 その老人が丘の上から町を見下ろしている。土地の人は夕陽丘、黄昏丘と呼んでいる。不思議と年老いた人が散歩に来る場所で、悪い言い方をする人は三途の丘と呼んでいる。
 この丘に来るようになると、死期が近いらしい。そろそろお迎えに来る人が立ち寄りやすい場所なのだ。
 特に晩秋の夕方は、一番それにふさわしい時期になる。
 大村老人は、三途の丘だと知りつつも、赤い葉となった桜の木の根に腰掛けていた。体力も衰え、体調もよくない。
 最近は古武術に凝っており、如何に楽に身体を動かすに向かっている。決して筋力を付ける方向ではない。
 それで、動作は楽になったが、精神的黄昏からは逃れられないようだ。いっそのことボケてしまえば楽だと思うのだが、その傾向はない。
「あなたは……」と、いきなり声が聞こえる。
 大村老人は、ついに幻聴が来たと、心配になる。
 だが、声の主は紅葉した桜の葉から聞こえてくる。
「探さなくてもいい。姿は見えぬはずなのでな」
「誰ですか」
「三途の神だよ」
 大村老人は、そういう神がいるとは思えないので、自分自身の内面の声ではないかと疑った。
「もし、あなたが望むなら、若返ることが出来るが、いかがかな」
「それは仙術か」
「まあ、そのようなものだ」
「健康な身体に戻れるのなら、それはありがたいが……」
「今日は特別じゃ。百年に一人、若返らせておる。今日はその日だ」
「本当なら、そう願う。私は一人暮らしで、身寄りもない。若返っても誰も驚かないと思う。もしそうなら、別の土地でやり直す。ただ、戸籍は大丈夫か。身分証明書は大丈夫か」
「それはない」
「じゃ、私は誰になるのだ」
「ああ」
「ああじゃない。そこがしっかりしていないと、暮らせないじゃないか。年金ももらえなくなる」
「それは何とかしよう」
「どういうふうに、何とかする気だ」
「しつこく聞くな。それより、人生をもう一度やり直したくないか」
「やり直すのか」
「どうだ、小学生の頃から始めるのは」
「それはごめんだ。また、苦労したくない」
「では、いつ頃からならいい」
「どの年代も辛かった。やっとここまでたどりついたんだ。もう苦労はしたくない」
「分かった。望まないのなら、この話はなしにしよう」
「神様」
「何だ。やはり若返りたいのか」
「もう少し、いい条件を付けてくれないと、戸籍もないわ、記憶喪失では、苦労するばかりじゃないか。しっかり環境を整えてから、呼びかけてくれ」
「すまなんだ。参考にする」
 
   了

 


2011年12月24日

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