小説 川崎サイト

 

首輪

川崎ゆきお



 首元が暖かい。高島は首輪をしている。腹巻きを首に巻いているようなものだ。しかし「巻く」というのとは少し違う。わっぱを付けているだけだ。マフラーは巻く。しかし、首輪は巻くとは言いにくい。最初から巻かれているためだ。
 しかし、暖かい。とっくりセーターの首だけを着ているような感じだ。
 防寒用のブルゾンを着ているが、襟を立てても首元をガードしきれない。首の太い血管を温めることで、体温を維持する。
 太い血管を外気に当たらないようにすることでが肝要……とテレビで言っていた。それを思い出す。
 それは確かに当たっていた。首輪の効果は抜群で、使用前と使用後とではかなり差が出る。証明されたわけだ。
 しかし、腑に落ちない。マフラーなら、腑に落ちる。つまり抵抗はない。だが、首輪のほうが密着度が高い。それにマフラーより簡単に装着できる。
 では、なぜ腑に落ちないのか。
 それは腹巻きにもなれば、耳当てにもなり、帽子にもなるためだ。マフラーを腹に巻く人、頭に巻く人はいないわけではないが。
 頭と首、耳、腹は違う。それぞれ場所柄がある。
 腑に落ちないのは「場所柄をわきまえぬ奴」のためだ。
 しかし、暖かい。これは実利を取るのか、文化を取るのかの戦いだ。
 そして、高島は実利に負けた。
 いや、それは新手の文化なのかもしれない。新ジャンルなのだ。
 高島は、その首輪を首輪専用として使うため、聖域を守ろうとした。何が聖域なのかは分からないが、首と耳では耳のほうが聖域だ。耳と頭部なら、頭部が聖域だ。だから、首輪は何段か低い。
 しかし、この首輪、伸ばせば顎を隠せ、さらに口や鼻まで隠せるマスクともなる。そうなると覆面だ。もう首輪ではない。
 首輪は犬の首輪を連想する。アクセサリーではなく、実用品としての首輪は冬場しか効果がない。
 寒いので、全員が首輪をしているわけではない。つまり、普及度が低い。
 だが、誰も見ていないところでなら、首輪でもかまわない。
 文化とは視線だ。
 しかし、他者の視線だけではなく、自身の視線もある。この場合、実際に首輪を見ているわけではない。しっかり見えないだろう。だが、意味として見ている。
「いやいや、そこまで拡大する必要はない」
 高島は雑貨屋で、もう一巻き、その首輪を買うことにした。スペアが必要なためだ。
 マフラーや手袋や耳当てと同じ場所に、その輪が並んでいた。
 首輪を受け入れるかどうかは、微妙なところだ。
 高島は受け入れる決心を下した。だから、もう一巻き買いに来たのだ。
 決して腹巻きにはしないという条件で。
 
   了


2011年12月27日

小説 川崎サイト