小説 川崎サイト

 

川崎ゆきお



「ちょっと聞きたいことがあるのだが」
 桜田老人が隣の岩田老人に庭先で聞く。
「年が明けたのは本当か」との問い合わせた。
「ああ、明けましたとも。もう去年ではなく、今年だよ」
「それはそれは、新年おめでとうございます」
「ああ、おめでとう。桜田さんも目出度そうで、結構結構」
「年を明けたのはよいが、大晦日も過ぎたのだな。わし、大晦日も気付かなんだ。月末が近いことは知っておったがね」
「クリスマスはどうかね。記憶にあるかね」
「それはさっぱりない」
「もう正月三が日も終わってるが、それを知っておられるかな」
「いや、まだ、月末だと思っていたので、月初めが正月だとは気付かなんだ」
「テレビを見ておらんのかな」
「テレビは、なぜか映らんようになった」
「そりゃ桜田さん。地デジだよ、地デジ」
「だって、ここは共同アンテナだろ。アンテナは一緒だろ」
「テレビが地デジ対応しておらんと、駄目なんだよ。テレビでやっておったでしょ。ずっと」
「ああ、それは知っておる。しかし、テレビを買う金がないので、放置しておった」
「それはいいが、大丈夫かな。娘さんがおっただろ。今年は来ないのかな」
「娘も老いて、身体が悪いようでな。遠いから、年に一度ぐらいしか来ん」
「ひ孫さんが遊びに来ていたじゃないか。最近は駄目か」
「ああ、もう働きに行くようになって、来んよ」
「ところで、桜田さん。あんた自分の年、知っておるか?」
「知らん」
「やはり」
「教えてやろう、私より三つ上だから、八十一だ」
「今年でか?」
「今年の誕生日が来れば八十二だ」
「長く数えとらん」
「ところで、餅は食べましたかな」
「いやいや来月が正月だと知っておれば、餅とスルメを買うところだったが、忘れておったので、餅は買うておらんよ」
「餅を喉に詰めて死ぬよりよいかも」
「ああ、あれは笑うが、笑えんなあ。気の毒だが、通夜やのとき、餅の話は禁句だろうなあ。笑う奴はおらんだろうが、縁の遠い親戚の子供なら、爆笑もんかもしれん。それに先祖が餅を喉に詰めて死んだというのが代々伝わるのも、妙な感じじゃ」
「気の毒な話なのでな。笑っちゃいけないですぞ」
「はいはい」
「もしよければ、餅があるが、持って行きなさるか。余り物じゃ。もう硬くなっとる。年末から、わしゃ、餅ばかり食べておったから、もう飽きた。残り全部差し上げますよ」
「おおそれは、ありがたい。毎年正月は餅を食べておったのでな。食べんと縁起が悪い」
 岩田老人は母屋から餅を入れたビニール袋を持ってきた。
「冷蔵庫に入れてあるから、冷たいですぞ」
「じゃ、頂戴する」
「その餅……」
「はいっ?」
「残ったら、冷蔵庫に入れんとカビが生えるので、注意してください」
「はい、ご丁寧にありがとう」
 四日後、岩田老人は心配になり、庭先から桜田老人を呼んだ。
 聞こえるように、かなり大きな声で「桜田さん、桜田さん」と呼んだが反応がない。
 岩田老人は縁側まで来て、ガラス戸を開けた。
 部屋の隅に桜田老人の布団がある。
「桜田さん」
「はい、何か」
 無事だったようだ。
 
   了

 


2012年1月5日

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