本を読む
川崎ゆきお
ビジネス街の地下街。昼休みで、食堂街は混んでいた。和風の蕎麦屋で高梨は読書している。食後の一服をかねて。
値段は高いがすいており、しかも喫煙できる。
「何を読んでいるのかな」
老人がいきなり声を掛けてくる。高梨は活字を追っていたので、気付かなかったが、隣の席にいたのだ。
「ビジネス書です」
「おや、勉強中でしたか」
「はい」
それと知れば、それ以上話してこないはずだ。
「本は何度も読むことで理解できる。一度では駄目だ。二度三度読むことで、やっと理解でき、身につくものです」
期待は裏切られた。邪魔しにかかっている。本人にはその気がないが、マナーの本を読んだことがないのか、読んでいたとしても二度三度と読まなかっただろうか。理解していない証拠だ。
「これって、軽い本ですから、読み流してちょうどなんです。一応どういうことが書かれているか、おおよそが分かればいいのです」
貴重な時間を邪魔された腹いせか、高梨は必要以上に苛立っている。この苛立ちは、本を読むのが面倒なことと同期しているようだ。
「どんな本にも著者の深い含みが書かれている。そこに人生の知恵が潜んでいるのです。それを読み込むことで、取り出すのが読書なのですよ」
高梨はそのビジネス書の著者を知っているが、レポーターのようなもので、ネット上で取材したことを、つなぎ合わせ、面白いキャッチフレースを並べているだけの内容だ。著者に深い意味があるとすれば、売れる本を如何に早く書くかの知恵程度だろう。そして、作者のセールス力を見習うべきだが、叔父が某大手出版社の重役で、親族に編集者が多い。だから、本人の努力とは関係のないところで、成立している。同じようなこと他の人には出来ないだろう。
「本は、書かれてあることよりも、それを読んで気付いたことのほうが収穫があるのですよ。読んでいて、全く関係のない連想をすることがあるでしょ。その本の本意ではない事柄が浮かび上がる。だから、その人の中にあるものを発掘するきっかけとなるのです。そういう読書法もあることをお忘れなく」
高梨は、この老人、何者だ。と、やや戸惑った。それは迷惑物と言うより、大物かもしれないと。
それなら人脈を作る絶好の機会だ。
「あなたは……」
「わしかね。わしはただ、天ザルが好きなだけでね。食べ歩いておる暇人だよ。偶然今日はこの食堂街にした。二軒あったね。ここは高いほうだ。どんなものを出してくるか、楽しみだよ。問題はエビだよエビ。エビの大きさだよ。それが決め手だ。ここだけはごまかせない。これだけの値段を付けるんだから、小さければ許せん。蕎麦なんて、どうでもいい。エビだよエビ」
あまり、大物だとは思えない。高梨のテンションは下がった。
そして、天ザルが運ばれてきた。
老人は、30センチの定規を出してきて、エビを計り始めた。
高梨は本を閉じた。
もう昼休みが終わりかかっていた。
了
2012年1月18日