早い目の人
川崎ゆきお
「女性からまたメールが届いているんですがねえ。どうしたものでしょうか」
蛭田はITに詳しい増岡に聞いている。同年配の老人だ。
「何て、言ってるんだい」
「折り入って話したいことがるのでご返事くださいと」
「用件は?」
「その一行だけだよ・何の話か聞いてみたい。それが気になってね」
「知ってる人かい?」
「いや、知らない。私が知らないだけで、相手は知っているかもしれない」
「思い当たる女性がいるのかい」
「それは断定できない」
「メールには、それだけかい。書かれていたのは」
「そうだ」
「リンクはなかったかい」
「なかった。文字だけで、飛べるようなところはなかったよ。前は始終そんなのが来てたけど、飛ぶと変なホームページに出て、往生したよ。だから、それじゃない。普通の個人からのメールだよ」
蛭田ははそれをプリントアウトしたものを見せた。
「相手のメールアドレスは」
「ああ、本文だけで、それは知らない」
翌日、蛭田は女性のメールアドレスをメモして、持ってきた。
増岡は、じっとアドレスを見ている。
「何か分かったかい」
「これはプロだな」
「え、どうして分かるんだい」
「普通のプロバイダーじゃないし、よくあるフリーメールアドレスでもない。これは、どこからのサーバーで、自分で作ったアドレスなんだ。そんなことをする女性って、素人じゃないだろ」
「でも、ネットに詳しい女性かもしれないじゃないか」
「そのメールを開けたあと、パソコンの状態はどうだい」
「いつもと変わらないよ」
「返事してもいいんじゃないかい。どんな話なのか、聞けるじゃないか」
蛭田は、返事を書いた。どういう御用件ですかと。
すると、すぐに返事が来た。折り入ってお話ししたいので、お会いできませんか……と。
蛭田は早速増岡にそれを見せた。
「本当に知らない相手なのかい」
「ああ」
「君のメールアドレス、どこかに晒していないかい」
「それはないと思う」
「じゃ、どこかで流出したんだ」
「どこで」
「メール登録しないと、入れないようなサービスがあるだろ。パスワード発行手続きとかで」
「ああ、あるある。何カ所もそういうところがある」
「それで、アダルト系で、そういうところの会員になったことはあるかい」
「ある。登録しないと、動画が見られないとかで……」
「何カ所ほど?」
「さあ、忘れたけどかなりあるかも」
「そのうちの一つが臭い。そこと業者とがぐるなんだろう。または、アドレスを売ったかだ」
「じゃ、これは何かの勧誘かい。それにしては、いきなり会いたいって言うのはどうなの」
「それは引っ張りだよ。次のメールで、いろいろ言ってくるはずだ」
「そうだなあ。会う意志があるかどうかだけの返事だったから、何も分かっていないなあ。折り入っての話の中身が分からないしなあ」
「そうなんだよ。具体的な中身が何もない。自分はどういう人物で、実はこういうことでお会いしたい、となるのが普通でしょ」
「はいはい」
「まあ、気になるので、返事をしたくなる。それが相手の手だ。気をつけるんだな」
蛭田はメールの返事をしてしまった。会う意志があると。そして、あなたは何者ですかと。
返事はすぐに来た。
会う場所を指定している。日時までも。そして、あなたは何者ですかの返答はない。
蛭田はまた増岡に会い、それを伝えた。
「これは、おかしいよ。どう考えてもおかしい。蛭田君。これはやばいんじゃないのかい。用件も言わないし、何者かも伝えておらん。失礼じゃないか。人の会うのに。だからこのまま放置すればいいじゃないか。思い当たるような女性もいないんだろ。親戚縁者なら、こんな手の込んだことはしない。それに君はネット上でプロフィールも晒していないんだろ。ブログもやっていないし、ツイッターやフェースブックもやっていない。だから、その女性、リアルの誰かであっても、君のメールアドレスが分からない。これは罠である可能性が高い。用件が分からないんだよ蛭田君。合わないのが普通でしょ」
「いや、しかし用件はある」
「どこに」
「会うのが用件」
「それを世間では出会い系と呼んでいる」
「金を取られるのかなあ」
「それは分からない。また、いたずらである可能性もある。だから、面倒なトラブルに巻き込まれるリスクを考えれば、無視することだな」
「しかし、その女性と会ってみたい」
「君は勝手なストーリーを作っているだろ。その妄想こそが敵に思うつぼであり、強力な磁石なんだ。無視だよ。無視。いいね蛭田君」
蛭田は返事を書いた。約束の日時と場所に行くと。
都心に出て、別の私鉄に乗り換え、目的の駅前に到着した。待ち合わせ場所の北側改札前に近づく。
そして、蛭田は増岡が立っているのを見た。
「やっぱりなあ」蛭田は、増岡のいたずらであることを見抜いていたわけではない。しかし、パソコン設定や、メーラーの設定をやってもらったのは、増岡だ。そして、困れば話す相手も増岡だ。しかし、蛭田は、増岡の姿を見て安堵したのも確かだ。
「ひどいじゃないか増岡」
「ああ、悪い悪い。まさか乗ってくるとは」
「あのう、蛭田さんですか」
と、横から女性の声。
「あっ」蛭田と増岡が同時に声を出してしまった。
女がそこに立っていた。
「来てくださってありがとうございます」
増岡は後ずさった。そのまま後ろ歩きでもしそうなほど。
「ああ、はい。蛭田です」
そのとき、女性の携帯が鳴った。
「あ、はいはい。はい。あ、そうですか。はい」女性は困ったような顔になる。
電話したのは、増岡だ。
増岡は、先に蛭田に会ってしまったので、中止を伝える電話だった。
蛭田は待ち合わせの三十分も前に来ていたのだ。それが誤算だった。
了
2012年1月20日