小説 川崎サイト

 

縄ベルト

川崎ゆきお



 ノックの音。
 坂上は「どうぞ」と返答。
 ドアが開く。妙な男が立っている。
 坂上が呼んだ探偵だ。すぐに間違いだと気付いた。思ってもいないものが現れると、間違いであると断定する。それが坂上の癖で、この見てくれの印象からの推測はよく当たり、坂上はこのカンのよさで若いのに教授になっている。
 坂上は、そこに立っているのは探偵ではなく、別の用事、例えば部屋を間違えた人間ではないかと、最初思ったのだが、時間的には合っている。探偵以外に訪ねて来る人間はいない。スケジュール的には「探偵との密談」で合っているのだ。
「君は」
「はい」
「何だ」
「はぁ?」
「何だその身なりは」
「ああ」
 坂上教授が注目しているのは、ブレザーの隙間から見える腰のベルトだ。それが縄なのだ。
「ありえん」
「バンドが切れたもので、これを愛用しています」
「花田さんだよね」
「はい、探偵の花田です」
「僕は君についての話で呼んだのではない。だが、その縄は何だ。話題になるではないか」
「ああ、気になさらず」
「だから、その縄は、どうしたのかと聞いている」
「ただの縄です。その前まで寝間着の紐を回していたのですが、それが切れて、これは大変だと思い、縄を巻きました」
「縄なんて、ないよ」
「ない?」
「だから、どこからそんな縄を探し出してきたんだ」
「落ちてました」
「ないっ!」
「な、何が?」
「落ちているようなものではない。縄なんて何処に落ちている」
「アパートの前に落ちてました」
「それを君はベルト代わりにしているのかね」
「はい」
「しかし、誰が落とすんだ。そんな縄を」
「知りません」
「ちょっと、見せなさい」
 教授の命令で、花田はブレザーを上げた。荒縄だった。
「これは売っておらんだろ」
「さあ」
「これは、昔、米俵などを結んでいた縄だ。昔の子供がやっていた縄跳びは、この荒縄だ。今、そんなものは使っていない。だから、簡単に落ちているものじゃない。今やアクセサリーだ」
「ああ、そうなんですか」
「君はわざわざ、そんなものを見せに来たのかね」
「トトと、とんでもない。調査依頼のお話を伺いに来ました。ビジネスです。決して見世物として、お見せしに来たわけじゃないです。それに、バンドなんて、どうでもいいじゃありませんか。ズボンさえずれ落ちなければ。このズボンはですね。質屋で買ったものでサイズが三回りほど大きいのです。だから、どうしてもバンドが必要なんです。ぐっと絞めると、ズボンが袴のようになります。シワがシワが。それは、恥ずかしいのですが、そんな細かいことで、くよくよしていてはいけないと思い」
「君ねえ。僕はねえ。君のエピソードを聞くために、呼んだのではないのだ」
「ああ、当然、当然。早速本題に入りましょう。ビジネスに入りましょう」
「君は本当に興信所の人間かね」
「はい、そうですが」
「まあ、いい、調べて欲しいのは黒崎教授の周辺情報だ」
「え、何ですか」
「耳はないの。今、言ったでしょ」
「何か、固有名詞が出てきたように思うのですが、よく聞き取れませんでした」
「黒崎教授だよ」
「知りません」
「だから、教える。住所を。そして顔写真も」
 教授は写真と住所をプリントアウトしたものを花田探偵に渡す。
「ああ、この人が、黒崎教授ですか。悪そうな名前だし顔ですねえ。髭で顔が真っ黒ですねえ」
「彼の過去なり、彼が隠しているような落ち度を見つけるんだ」
「落ち度?」
「不正や弱みだ」
「それで」
「それ以上知らなくてもいい」
「どうして、調べるのですか。黒崎教授の弱みを」
「聞いてなかったのかね。今、それ以上知らなくてもいいと言っただろ」
「ああ、でも気になりまして」
「秘密は守るだろうね」
「はい」
「まあ、聞かなくても、分かるようなことだとは思うよ。こういう秘密の調査の目的はね」
「心当たり、ありません」
「じゃ、言おう。弱点を見つけて、大学から追い落とす。なければ、でっち上げる」
「悪い人だなあー」
 花田は、坂上を指さして言う。
「き、君、何だ」
「お縄にしてくれる。この悪党め。悪人めい」
 花田は、ベルトの縄をさっと抜き、坂上に巻き付けた。しかし短いので括れない。
「な、何をするんだ。君は」
「大人しくお縄を受けよ」
 花田は縄を体に回すのを諦め、後ろ手で縛った。これなら、縄は短くても大丈夫だ。
「やめろーこらー」
 そこで、坂上は我に返った。
 入り口に立っている探偵の縄を見て、あらぬ想像に浸ってしまったのだ。
「興信所から来ました花田です」
「あ、そう。どうぞ中へ」
 坂上は、縄ベルトは触れないことにした。
 
   了


2012年2月3日

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