小説 川崎サイト



恋人たち

川崎ゆきお



 吉田辰彦。三十五歳独身。結婚歴なし。低学歴、低収入、低身長。
 八幡画廊の植草は吉田のプロフィールからそこだけ抜き出した。そして搬入された絵をしみじみとした気持ちで眺めた。
 八幡画廊は貸し画廊で、よほどレベルが低い作品でない限り貸している。お金を払ってくれれば画家はよいお客様なのだ。
 しかし最近普通の絵を画く人が少なくなり、レベルは年々落ちていた。吉田辰彦の絵はその意味でギリギリのところだった。
 おそらく見に来る人はいないだろう。それは分かっているのだが、貸したほうが収入になる。
 翌日から吉田辰彦の個展が始まった。予想通り客は来ていない。
「苦労してきたんだろうねえ」
 画廊の真ん中でポツリと座っている吉田に植草が声をかける。
「道楽ですよ」
「あ、そう」
「好きなんだね、絵が」
「まあ」
「こういう絵って、流行らないんだけど、よく続けてるね」
「そうですか」
「感心するよ」
「他に能がないので」
「そんなことないだろ」
「本当ですよ」
「やっても仕方がないってことかな」
「ええ、やれば出来るかもしれませんが、こっちのほうが楽なんで」
「欲がないんだ」
「この絵も売れっこないです。若い頃は賞に出したんですけどね。さっぱりです」
「この絵じゃ、駄目でしょ」
「その通りです」
 そこへ一人の女性客が入って来た。二人は黙った。
 近くのOLだろうか。すーと一覧し、立ち去った。
「何でしょうね?」
「あなたの個展を見に来た客じゃないか」
「そんな冗談を」
「いいねえ、絵描きさんは。ああいった女性と、こういうところで知り合える」
「そんな冗談を。今までそんなことは一度も……」
 植草は、その通りだと思った。
 吉田辰彦が画く人物画はすべて女性で、彼の恋人たちなのだ。いずれも現実にはいない人達だった。
 植草はまたしみじみとした。
 
   了
 



          2006年7月16日
 

 

 

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