小説 川崎サイト

 

生死不明

川崎ゆきお


 マンションの谷間に、民家が残っており、そこだけは、昔の日本家屋がある。しかも平屋だ。立ち退かなかったのではなく、この一帯の地主なのだ。
 庭は朝日と夕日がわずかに差し込む。日の当たっている樹木だけは何とか生きているが、常に日陰の庭木は成長を止めている。
 しかし、雑草は日陰でも伸びるようで、ジャングルのように生い茂り、花も咲けばチョウチョも来る。だが、ヤブ蚊のほうが悩ましい。そのヤブ蚊が嫌で、主は庭の手入れをしない。
「また、お邪魔しますよ」
 近くのマンションに住む増村が庭に現れる。
「幽霊じゃないのかね」
「冗談を、まだ楽は出来ませんよ」
「あっちの方が、楽なのかい」
「極楽でしょ、あっちは」
「そう決まったわけじゃない。地獄かもしれんぞ。それはそうと、最近見かけないねえ。散歩はよしたか」
「それなんですよ。ご隠居」
「あんたもご隠居じゃないか」
「そんな身分じゃないよ。私は」
「で、他に行くところでも見つけたのかい」
「いや、そうじゃない。おっくうになってね。散歩も」
「それは、またどうして」
「眠いんだよ」
「ほう」
「食べた後ねえ。眠いんだよ」
「調子でも悪いのかい」
「悪くはない。眠いんだ」
「眠り病かね」
「そんな病気、あるのかい」
「どんな具合だ」
「食べた後、眠くて、散歩に行きたくなくなる。このまま寝てしまいたい。それで、ここに寄るのも久しぶりなんだ」
「食べたあとは眠いさ。誰だって」
「そうかなあ、以前はそんなこと、なかった。食べるとすぐ散歩に出かけたよ。ところが最近は、そうじゃない。動きたくなくなる。それで、出かけなくなった」
「眠いほうが優先なんだね。散歩よりも」
「そうなんだ。これじゃますます外に出る機会が減る。あんた、そんなことないかい」
「あるよ。ずっと前からだ。だからずっとうちにいるよ。食べたらすぐに横になる。そのまま寝てしまうときもあるね。昼寝じゃなく、朝、食べた後、また寝てしまうこともあるよ」
「体に悪いよ」
「いや、散歩に出るほうが体に悪いんだ。体を動かすだけなら、家んなかでも出来るさ。外に出る必要はない。歩きたけりゃ、家の中でうろうろすりゃいいんだよ」
「じゃ、あたしの場合、散歩はどうなるんだい。散歩に出たいよ。こうして、ここにも寄りたいしさ」
「そりゃ、好きなようにすりゃ、いいさ」
「そうだね」
「ちょっと考えるんだけどね」
「何だい」
「あたらしら、もう冥土にいるんじゃないだろうねえ」
「まさかぁ」
「いやいや、二人とも、もうあっちへ行ってるから分からないだけでさ」
「脅かすなよ」
「あんた、若い人と会ったことあるかい」
「ああ、どうだったかなあ」
「娘や孫と最近会ったかい」
「そういや……」
 チャイムが鳴る。
「あ、客だよ。じゃ、あたしゃ、失礼する」
 増村は雑草を踏み分けながら、庭から出て行った。
 主は、玄関に向かう。
「こんにちは、新聞屋です。近くにオープンしましたから、ご挨拶に伺いました」
 主は玄関戸を開ける。
 そこにまだ二十歳代の青年が立っていた。
「ひと月だけでもとってもらえませんか」
「君は、交通事故で、死ななかったかい」
「えっ」
 
   了

 


2012年2月15日

小説 川崎サイト