小説 川崎サイト

 

諦める心

川崎ゆきお


 船岡はすぐに諦める。それは潔いと言うべきだろうか。物事に頓着しないのだ。頑張れば出来ることでもやらない。ただ、本人は頑張っているつもりも、諦めないでやり続けていることがあるのだが、それは意識していない。そのため、何を継続し続けているのに気付いていないようだ。まだ、それは意識するほどのことではないのかもしれない。
 すぐに諦めるのは、無理があるためだ。船岡は無理はしない。無理をして成し得ても、何が得られるのかを考えると、コストパフォーマンス的に、損だと判断する。得られるものに比べ、その過程に対する単価が多すぎるのだ。そのため、全体的には損になる。
 決して船岡は計算高い人間ではないが、計算するまでもなく、何となく損得が分かる。それを考えると、気分的に乗らない。だから、実行へは至らない。
 だが、一応はやってみる。やる前から諦めてはいない。そして毎回すぐに諦める。
 そのため、新たなことをすぐに始められる。やり遂げるより、やり始めが好きなのだ。新しいことをするのが好きなだけのことかもしれない。
 しかし、すぐに引くので、放置したネタは多い。
 ある一つの事柄を継続的に続けるのは、継続は力という言葉があるように、いいことだが、そればかりやっていると、他のことが出来なくなる。それが辛いのだ。
 諦めない心はいいことだが、反面、執着心の強さでもある。意固地になって、やり続けることになる。これはいいことではないだろう。
 執着心が強いのは、内面にそれを求める気持ちが強いからで、内面にエネルギーがある。それが、ある日、ぽんと落ちることもある。
 勝ちたいという気持ち、生きようとする気持ち、それが強いほど有利だ。しかし、ある人が勝てば、ある人たちは負けていることになる。ある人が生き延びれば、ある人は果てている。
 これは人を勝たせてやることでもあり、自分より、誰かを生きさせてやるようなもので、結構崇高ではないか。ただ、誰も船岡を愛でないし、誉めないだろう。崇高どころか、ただの怠け者なのだ。
 船岡の辞書に「負けるが勝ち」はない。「負けるは負ける」で、わざわざ言うようなことではない。最終的には負けるのだ。結果的には勝っている。ということではない。
 正岡が、あることで、諦めない心で、粘り勝ったとしよう。それで得た美酒は、すぐに消える。それを知っているのだ。また、勝利者は、常に勝利を求め続ける。よりよい自分へとバージョンアップしていく。
 だが、船岡にとり、それは居心地が悪いのだ。いつまでも成長しないといけないのは、苦行だ。そしてそれは煩悩なのだ。
 誰もが諦めないで成功するのなら、誰もが諦めない。当然のことだ。結局、美酒が飲める人は限られている。だから、博打なのだ。つぎ込んだ時間や金銭を賭けているようなものだ。負ければ、パーになる。そして、どう考えても悔いが残る。あれほど頑張って続けたのに、見返りがないのなら。
 そんなことを考えている正岡だが、実は本人が意識していないところで、決して諦めないで続けていることがある。本人は頑張っているつもりも、続けているつもりもない。
 その事柄が判明しても、大して人は誉めてくれないだろうが……。
 
   了


2012年2月25日

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