小説 川崎サイト

 

北の風邪

川崎ゆきお


 田村はクシャミをした。鼻水が出ている。鼻がむずがゆい。体も重く、いつものようにしゃきっとしない。動きが緩慢だ。微熱があるのか、食欲もない。だが、腹は空いている。
 田村は北風の吹く中、薬局へ自転車で向かう。さほどの距離ではない。いつも寄るコンビニの倍ほどの距離。コンビニまで歩いても五分とかからない。見えている距離。
 北へ向かう。北風で、北へ向かうため、ペダルが重い。ただでさえ足が重いので、いつもの倍ほど重い。
 コンビニの手前に来る。道路の右側を田村は走っている。そこへ対向車がコンビニに入ろうと曲がってきた。田村も、そのままコンビニの駐車場へ回り込めば、ぶつからない。だが、今は食品や雑貨より、薬が先だ。そのため、直進する。曲がろうとしていた車はぴたりと止まった。車から見れば、前方に自転車があるのを知っている。だから、止まるのが普通だが、急げば先に曲がり込める。または、自転車がスピードを落とせば大丈夫だ。しかし、自転車はその期待と裏腹にイノシシのように突っ込んできた。道を邪魔しているのは、車のほうなのだ。結果的には車は停止し、田村の自転車をやり過ごした。
 田村はそのままコンビニを通り過ぎ、薬局へと向かう。軽快ではない。だが、止まるより漕いでいるほうが楽だ。そのため、車に遠慮せず、突っ込んだのだ。直進車優先だ。
 しかし、車との接触が面倒なので、裏道を迂回して薬局へ向かうことにした。その距離は倍ほどになるが、わずかな距離だ。疲れるほどの距離ではない。それより、いつもと違い荒っぽい運転になることをおそれた。出来る限り、面倒なものと接触したくない。
 それで、狭い路地に入っていったとき、声が聞こえた。
「カゼだよカゼ」と。
 どこから聞こえてきたのか分からない。
「見えないだろ」
 そのカゼが先に補足する。
 補足されても、意味が分かりにくい。確かに田村は風邪だ。
「北風の風じゃない。コートを強引に脱がす北風のような荒っぽい奴じゃない。わしはカゼだよ」
「風邪を引いたときの、あの風ですか」
「漢字では同じだが、邪悪な風だ」
「じゃ、同じ風邪なんですね」
「そうさ、まあ、怪異と言ってもいい」
「ちょっと、今、風邪で薬局へ向かっているところなので、面倒な話にはつきあいたくないのです」
「君のは風邪じゃない。わしが憑いているだけだ」
「いえ、これは風邪です。鼻水も出るし、クシャミも出るし」
「まあ、いい。邪魔をせん」
「もしかして、邪魔という魔物もいると言いたいんじゃないでしょうね」
「詳しいなあ。君は。確かにそんな仲間はいるが、わしは好かん。嫌いだ。相性が悪いので、仲間だが、つきあってはおらん」
「そうなんですか」
「わしの存在がうっとうしいのなら、もう話しかけん。ただ、言っておきたかっただけだ。君の風邪は風邪でも、わしが憑いた風邪なんでな、薬では治らんぞ」
「風邪は薬では治りませんよ」
「ほう」
「緩和される。それだけで十分なんです」
「そうか、勝手てにしな」
 田村は、風邪と対話したのだが、その間、足は動かしていたので、薬局に着いてしまった。
 そして、いつもの風邪薬を買い、戻ってきて飲んだ。
 飲む前から、風邪の症状は薄らいでいた。そして、飲んでから三十分ほどで、鼻水も止まり、ノーマルに近い体調になった。
 そして、そのまま、寝てしまった。
 邪悪なものがいるかもしれないが、まあ、その程度の存在かもしれない。
 
   了



2012年2月26日

小説 川崎サイト