村道座り
川崎ゆきお
田畑がまだ少し残っている町だ。大きなマンションがあり、その壁面の段差に高岡が座っていた。過去形だ。今はその姿はない。亡くなったわけではない。まだ生きている。かなり高齢だが、寝たきりではない。
その高岡が、久しぶりに姿を現した。サングラスをかけ、杖をついている。目が悪く、足も悪い。だが、歩けないわけでもなく見えないわけでもない。
その視界に、昔なじみの大崎が映った。
「久しぶりですなあ高岡さん。元気でしたか」
「ああ、何とか現状維持ですよ大崎さん。あなたも丈夫そうで」
「いえいえ、駄目ですよ。めっきり外に出ることもなくなりました。今日は電池が切れたので、百円ショップへ買いに行くところです」
「百均の電池安いですが、すぐになくなりますよ。だから、値段と寿命が比例している」
「ああ、そうなんだ。それより、数ヶ月前からかなあ、高岡さんが、ここで座っていないので、何かあったのかと思いましたよ」
「ああ、そのことですか。体調とは関係ないです」
「じゃ、どうして」
「数ヶ月といっても半年前です。だから、かなり前の話なんですがね。注意されたんです。警告かな」
「誰が?」
「緑の腕章をつけた人たちですよ」
「知らない人ですか」
「ああ、知らない」
「何の警告?」
「いや、警告じゃないんだけどね。まあ、それに近い」
「ほう、なんと言われたのですかな」
「まあ、目障りだというのでしょうか」
「それは失礼な」
「それより、子供が怖がるのでと」
「はあ?」
「下校中の児童が怖がるので、ここに座らないほうがいいって」
「だって、高岡さん、あなた何十年も、ここに座っているじゃないですか」
「そんなに長くいませんよ。ここ十年ほどですよ」
「じゃ、その緑の腕章の人たちは、保護者でしょう」
「だと思います」
「高岡さんのこと、知らないんでしょうねえ」
「いやいや、そんな旧時代の」
「この一帯の名主さんなんだから。もう四百年以上……」
「昔のことですよ。屋敷も取り壊し、マンションに建て替えたしね。農地は全部売り払いましたよ」
「名士ですよ。この辺りの。それを不審者扱いにするとは、何事でしょう」
「いやいや、そんなことはどうでもいいんだけど、我が家の前で腰を下ろしちゃいけない時代になっておるんですよ」
「じゃ、こうしましょう。そこの家庭菜園。あんたのでしょ。貸さないで、東屋を造って椅子を置けばいい。それなら私有地だ。そこで、座って文句を言われる筋合いはない」
「そこまでして座りたいわけじゃない。ただ、昔の村道で、行き交う人を見たいだけなんだよ」
「そういえば、この辺りに石がありましたねえ。そこにいつも誰か座っていた。子供の頃、そこを通ると、声をかけられましたよ。嫌だったけど」
「そうなんだ。やっと、自分が座れる番になったと思ったんだがね。違うようだ」
「やっぱり、菜園に東屋に椅子ですよ」
「考えておくよ」
その後、菜園に東屋は建たなかった。高岡は私有地ではなく、村道に座りたかったのだ。
了
2012年2月28日