小説 川崎サイト

 

南菱のパン

川崎ゆきお


 南菱はパン職人だ。この業界では有名ではない。なぜなら、ただのパン屋のため、パン業界とは関係しないためだ。業界があるとすれば、競合店だろう。
 南菱のパン屋は地方都市の小さな町で、競合するパン屋は少ない。南菱が生き抜いてこれたのは、パンの美味しさではなく、立地条件と、資金力だった。
 今ではこの町最大の手作りパン屋で、弟子も五人ほどいる。しかし、南菱は師弟関係を作らない。あくまでもオーナーと従業員の関係を維持している。小さいとはいえパン工場だ。それなりに売れるので、作るパンを多くしている。一人では作れない量のため、従業員を雇っているためだ。
 南菱はパンは独学で習った。よくあるパンづくりの本で、特別なものではない。家庭で作れるパンで、簡単なパンだ。だから、南菱は師匠に弟子入りし、修行をしたわけではない。だから、五人ものスタッフを抱えながらも、師匠らしい接し方はしない。ただ、南菱のパン屋は流行っているため、それを真似ようとパン修行に来ている従業員も多い。
「資金だよ。それと立地条件。パンは、まあ適当でいいさ。ここで働いても大した腕にはならんけど、十年も働きゃ、店を出す資金ができるかもしれんから、真面目に貯金するのが一番の修行だ。必要なのは、パン屋を開業する資金だ」
 飲食系雑誌の取材に応じて、南菱は、そんな答え方をする。
「お弟子さんの指導はどうなさっているのですか」
「弟子ではなく、手伝ってもらっているんだから、ありがたい話だ。一人じゃ量をこなせないからね。それができるのは、売れているからだよ。これが、だめなら、人なんて雇えないし、赤字だと、とっくの昔にやめてますよ」
「パンづくりは、難しいと聞いたのですが」
「ママさんでもできるよ。パンなんて」
「でも、お客さんに出すパンは、それなりに難しいと聞きましたが」
「よく失敗するよ。焼き具合が悪いときはカットして売ったりする。生地がだめな場合は、フライパンにする。失敗しても捨てないよ。客に出せないパンをスタッフに食べてもらうこともあるけど、いやだろう。飽きてるんだよ。ずっとパンに囲まれているんだ。食べたくないよ。私だって、パンは食べない。堅いんだよね。歯が悪いからかみきれないしさ。だから、もっぱらご飯だよ。ご飯がないとき、まあ、パンも食べるけどね」
「パン職人の修行はきついと聞きましたが、厳しく叱ったりしますか」
「それはポーズだね、職人ぽい。こだわりがある人に見られる。でもね。私は、職人じゃなく、経営者だから、叱ったりしない。疲れるしね。それに、最近の子は叱るとついてこない。恨まれたくないですよ」
「では、指導は、どうなさっているのですか」
「勝手に覚えるでしょ。毎日同じこと繰り返しているんだから」
「そうなんですか」
「腕じゃないよ。立地条件。競合店がいないこと。そして、いても値段を安くすること。そのためには手間暇掛けないこと」
「はあ。何か、パン職人としての名言はありませんか」
「私は、普通の手作りパン屋の親父だからね。職人じゃないよ」
「わかりました」
「それって、雑誌か何かに載るの」
「はい」
「でも、あんまり宣伝にはならないだろうなあ。この町で、その雑誌買う人何人いるのか考えるとね」
「インターネットでも掲載します」
「そうなの。宣伝費払わなくてもいいの」
「はい、当然です」
「それで、客一人でも増えりゃいいねえ。いいいように書いておいてよ」
「はい」
 その後、南菱のパン屋の紹介記事は、どこにも掲載されなかった。
 それでも、店は多少の波はあるものの、順調に営業を続けている。
 そして、従業員の多くは、独立し、こだわりのない手作りパン屋として、店を出している。何の特徴もない平凡な。
  
   了


2012年3月3日

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