小説 川崎サイト

 

貸しオフィス

川崎ゆきお


 古いビルだ。貸しオフィスとして使われている。安アパートのように細かく仕切られている。小規模オフィスとしてなら、その狭さがちょうどいいのかもしれない。
 二十歳代の高梨は起業家だ。しかし会社組織にはまだなっていない。個人オフィスレベルだ。そして、なにを起業したのか、忘れてしまうほど、ころころ業種を換えている。どれも成功していないが、会社ごっこが楽しめるので、隠れ家のようにオフィスを使っている。休憩所のようなものだが、決して休んでいるわけではない。ネタさえ見つかれば、すぐに新しい仕事をやるつもりだ。
 その高梨が、少しだけ気になることがある。それは、この古ビルだ。建物に問題があるのではなく、同じように借りている他のオフィスが妙なのだ。中を覗いたわけではないが、非常に静かなのだ。
 そして、借り主たちに覇気がない。ほとんどのオフィスは一人でやっている。
 最初の頃は、高梨のような同類が出入りしていたのだが、彼と同じように失敗したのか、撤退している。そして、空いたオフィスに、すっと、別の事務所が入っているのだ。安くて借りやすいので、人気があるのだろう。しかし、周囲にも似たような貸しオフィスはある。だが、空いている部屋が多い。その違いがよくわからない。
 このビルの借り主の特長として、どこかうらぶれていることだ。ただ、服装はスーツ姿で、カジュアルな感じがない。そして、中高年が多い。中にはかなり高齢な紳士もいる。会社の偉いさんのようなでっぷりと太った人もいる。高そうな鞄を持ち、高そうなスーツを着ている。
 部屋は廊下の左右にあり、ドアがかなり迫った状態で並んでいる。小さな小部屋がずらりと並んでいるのだ。そこを毎日のように高梨は通るのだが、物音はほとんどなく、また訪問客もいないのか、滅多に声は聞こえてこない。
 個人事業主や、会社の分室として使っているにしても、活気がない。
 高梨の左側の部屋は、二週間ほど物音一つ聞こえない。毎日来ていないのだ。右側の部屋には気配があるが、テレビをつけているのか、その音をよく聞く。また、出前を取っているのか、その応対もよく聞く。
 高橋のいる階は三階で、この階だけの静けさなのかと思い、最上階の五階までの各階の廊下をそれとなく歩いてみたが、似たようなものだ。ただ、出入りは結構あるようで、出たり入ったりしている姿はよく見かける。
 屋上は開放されており、そこに事務机や椅子が無造作に置かれ、休憩や運動に使われている。鉢植えがあり、世話をしている人もいるようだ。
 洗濯物も干されている。
 屋上の端に台がある。コンクリートがそこだけ高くなっている。それはいいのだが、上に椅子があり、人の後ろ姿がある。屋上から外を見ているような感じだ。後ろ姿は動かない。そのため、それが人であることに気づいたときはドキリとした。あまりない絵のためだ。
「こんにちは」
 即の反応ではなく、徐々に後ろ姿も気づいたのか、ゆっくり上体をひねり、途中で止め、今度はゆっくりと首が回転した。
「危ないのでね。急に動けないんだよ。なにね、落ちたって、一メートルもないけどね。手すりの際だろ。下が見えてるんでね。下手すりゃ落っこちそうな気になる。そんなことは起こりっこないことは、承知の助なんだけどね」
 長い解説だ。
「あんたも、アレかい。それにしては若いねえ。じゃ、普通に借りてる人だね」
「はい、ITとアナログを繋ぐ仕事をしています」
「あ、そう。頑張ってね。で、一人?」
「一人です。社員もいませんし、まだ法人にもしていません」
「あ、そうなの。それがいいかもね」
「ここって、養老院のようなものですか」高梨は、本陣を攻めた気持ちになる。
「そんな年じゃないけど、その年の人もいるかね。まあ、そんなものかもしれん。あ、ちょいと体勢が窮屈なので、降りますよ」
「はい、どうぞ」
 男は作田と名乗る中年男で、名刺には(作田案件研究所社長)と記されていた。
 屋上の野ざらしのスチールディスクを挟んで二人は座った。
「ここはどういう人が借りているのですか。何かいわくありげなビルなので」
「建物は普通ですよ。入っている人が、少し違います」
「どう?」
「みなさんそれぞれ会社から出向しているようなものでしょうかね」
「わかりました。ここは左遷用の牢獄のような……」
「それは、少しばかり失礼かもしれませんねえ。罪人ではない人も大勢いますよ」
「じゃ、罪人もいらっしゃるのですか」
「本人のせいじゃないですよ。だから、まあ、犠牲者でしょうか」
「煙草、いいですか」
「あ、どうぞ」
「愛煙家の人が、ここで仕事をするような。そんな感じですか。仕事は良くできるが、社内全面禁煙で、吸えないので、いらいらする。だから、こういう場所でオフィスを借りている」
「それはないです。煙草とは関係ありません。説明しましょうか?」
「お願いします」
「ここは、共同救済所なんです。私が前にいた会社も、その組合に入っていました。だから、ここにこれたんです」
「なにを救済するのですか」
「泣いてくれた人、泥をかぶってくれた人。身代わり地蔵さんたちですよ」
「あ」
 高梨は作田の顔をテレビで見たことを思い出した。よく記者会見で、謝罪していた人だ。営業担当部長だったように記憶している。確か、イノシシの肉をハンバーグに入れたとかで、偽装がばれた。そのとき、矢面に立ったのが、この作田で。顔がイノシシに似ていた。最初は、イノシシの肉など混ぜていないと言っていたが、顔がイノシシだった。それがおかしくて笑った覚えがある。
 それで、イノシシ部長が全責任を取り、一件落着した。本当は社長命令だったのだが、それを隠し続けた。その社長の顔は、もっとイノシシに似ていた。隠しようがないほどに。
 作田の話では、こういうときの救済のため、組合に入っていたらしい。それで、退職後、仕事先が与えられた。それが、このオフィスだ。会社名はあるが、仕事はしていない。社を救った人間に対し、面倒を見ているのだ。年収は減ったが、オフィスを辞めない限り、生活には困らない。また、その気があるのなら、自分で、仕事を作ることもできる。
 高梨は、それでやっと理解できた。つまり、ここの人は、みんな遊んでいるのだ。
「このビルにはねえ、本当に優秀な人もいるし、泥かぶり要員のつまらん社員もいる。仕事ができすぎて、やばい橋を渡り損ねた人。私もその口だが、今度ゼミナールを開こうと思っている。悪知恵なら、誰にも負けん。しかし、顔が割れておるからね。どうだろう。一緒にやらないか」
「何をですか」
「ゼミだよ」
「あのう、コンサルのようなものですか」
「コンサルなんて、全部インチキだよ。コンサルトと聞いただけで、もう駄目だよ。客が引く。だから、ゼミがいい。ゼミが。勉強会だ」
「はあ、考えておきます」
「善は急げだ」
「惡もですね」
 その後、高梨は、このゼミの話はすぐには受けられなかった。なぜなら、この独房の人々から、次から次へとお誘いを受けたため、迷いに迷っているためだ。
 
   了


2012年3月6日

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