巻き寿司一本
川崎ゆきお
立花はスーパーの前で異変を感じた。それは大げさだが、いつもと違うのだ。時間的には夕方前。このスーパーへは昼過ぎによく来ていた。不思議と夕方は珍しい。そのため、夕方は混むことを知らなかった。
「きっとそうなんだ」
異変とは、その程度のことで、立花が見たのは、スーパー敷地内とは別のところにある駐車場の混み具合だった。出て行く車と入ってくる車がもたもたしている。
立花は巻き寿司を買いにきた。普通の巻き寿司だ。コンビニでは望んでいる長さのものがない。巻き寿司半分と稲荷のセットはあったが、それではだめなのだ。コンビニの稲荷は甘すぎる。一度買って好みが違うことを知り、二度と買っていない。やはり巻き寿司は一本分食べたい。そして、それを売っている最短距離にあるスーパーが、今いるスーパーなのだ。
巻き寿司を食べたくなったのは、夕食のためだが、その日、立花は体調を崩しており、自炊したくなかった。米櫃から米を取り出す行為だけでも、もう想像しただけで、いやだった。さらに、洗っていないまま放置している電気釜の釜を洗わないといけない。それらの行程がいやなのだ。
立花は決して自炊はいやなわけではなく、毎日作っている。料理というほどのものではないが、好きなものを煮炊きできる。外食ではそうはいかない。大した具も入っていない。材料費が高いものは、控えめにしか入っていない。そういう不満を、自分で作ることで、満たされる。
さて、スーパーだ。混んでいる。自転車置き場が、まず満車と言うより、はみ出ている。そのため、入口からはかなり離れたところに止めることになるが、どうせ通り道なので、入り口近くまで乗るか、歩くかの違いだ。方角が同じで距離も同じなら、ストレスにならない。
ドアを開けると、びっしりと客がいる。前に進めないほどだ。しかし、立花が思うところの異変ではない。夕方は客が多い上、今日は月初めの特価日のようだ。それで、近隣から主婦が集まってきたのだろう。たとえば、千円以上買うと、卵Lサイズ十個入りが七十円とかだ。同じ買うなら、こういう日に買うのがいいのだが、立花はそんな情報は知らない。新聞の折り込み広告にでも入っていたのだろう。新聞を取らない立花はそれを知らないし、また、買い物仲間も口コミもない。
何が安くなっているのかは、それなりにわかる。野菜が他の店のより半額近い値札となっている。すべての野菜がそうではなく、ほうれん草だけだ。また、サツマイモも百円で五本ほど入っている。別の袋は三本だが、一本一本が長く太い。だから、目方で決まるようだ。これも他店よりも安い。
立花は、自炊しているだけあって、食品の値段はそれなりに知っているのだ。だから、今日は安いことを十分知っている。ここに群がる客と同じ価値観を有しているのだ。
混み具合、客の密度を見て、ここで範囲魔法の一撃で、まとめ狩りできるのではないかと考えた。範囲魔法とは、ある範囲内の敵を一度の魔法で、複数攻撃が出来る術だ。ただし雑魚キャラに限られる。強い敵だと、一撃では無理だ。
そんなことを考えながら、巻き寿司売場へ向かうが、前へ進めない。レジカゴやワゴンが幅を取り、さらに、乳母車まで持ち込んでいる客がいるため、前へ進めないし、すれ違うのも往生する。
巻き寿司売場は遠い。スーパーの入り口は二カ所あり、巻き寿司から遠いドアを開けてしまったのだ。
立場は目の前にある鮭の切り身を見る。三切れ入りが安い。三回分ある。しかし、三度も続けて鮭は食べたくない。一切れでいい。しかし、それでは割高というより、一つ入りパックはない。では、二切れ入りにすればいいのだが、三切れ入りに比べると割高だ。迷いがある。だから、買えない。今日は体調が悪いのだ。そのため、鮭など焼けるわけがない。だからこそ巻き寿司なのだ。やっと初心を思い出し、巻き寿司売場へ体をくねらせながら進む。もうそのアクションだけで、ぐっと体力が減ったようだ。
惣菜コーナーに巻き寿司はある。その前まで来たので、もう安心だ。
そして、迷わず巻き寿司一本入りパックをカゴに入れ、レジへ向かう。すぐ横だ。
レジは、駅の改札のように並んでいる。数えたことはないが五カ所ほどあるだろうか。客が多いことを見込んでか、一つのレジに二人入っている。それを並んでいる人の肩越しから確認する。レジ前の通路が通れない。五列ほどが邪魔をしているのだ。
仕方なく、後ろへ回り込むが、そこは普通の陳列台が並んでいる場所だ。レジなど見えない。しかし行列が出来ているのだから、そこにいるしかない。そういう行列が五本ほど出来ているはずだ。左右の列は、陳列台のため、見えない。そのため、どの列がすいているかはわからないので、調べようがない。
巻き寿司一本。しかもこの日、特別安くなっているわけではない。特価日とは関係のない商品なのだ。
他の客は、カゴいっぱいに食材や日用品を持っている。待つ時間が儲けになる。だから、待つのも仕事なのだ。
しかし、立花は定価のままなので、手間賃にはならない。待つことで安くならないのだ。
列の中程まできた。
あのとき、鮭を買っておけばいればよかったと後悔した。自分だけが無駄な待ち方をしているのだ。並んででも買うようなものではないのだ。
しかし、その活気に当たったためか、体調がよくなってきた。やる気が出てきた。
そして、無事、巻き寿司を買い、スーパーを出た。自転車置き場はまだ波は引いていない。立花の自転車は、他の自転車と共に圧縮されていた。間合いを詰められていた。客が増えたのだ。
夕方。まだ日は沈んでいない。
了
2012年3月8日