小説 川崎サイト



雨が降っていた

川崎ゆきお



「会社を辞めた理由はそれだけか」
「はい」
「他に理由があるだろ」
「他にはありません」
「隠さなくてもいい。私にも言えないことか?」
「何も隠していません」
「誰にも言えないことがある。それは分かっている。辞めたことをとやかく言わない。こうして報告に来てくれただけでも上等だと思う」
「いえ」
「君は狂ったわけではなさそうだ。だから理由がきっとある。私も保証人として聞く権利が少しはある」
「ですから、理由は言いました」
「嘘はいかん」
「嘘じゃありません」
「私には分かっている。君がそんなことで会社を辞めるわけがない。子供の頃から見てるんだ。君はそんな人間じゃない。本当のことを私に話してくれないか? 水臭いじゃないか。そうだろ」
「僕は本当のことを話しています」
「お母さんが泣くよ。私の妹だ。泣かせてはいけない」
「母は泣いていませんでした」
「あきれて涙も出ないのだろう。しかしだ、そんなとぼけた理由では私を騙せない。親は騙せても私は騙されないよ。親に言えない理由があるんだ。そうだろ?」
「ありません」
「強情な子だな。何を隠しているんだ。私だけにそっと教えてくれないか。妹夫婦には黙っておく」
「だから、何も隠していません」
「次、また就職するんだろ? また妹が保証人になってくれと来るはずだ」
「はい」
「今後のこともある。だから私を納得させてくれないか」
「さっき言った通りです」
「何があったんだ?」
「それもお話ししました」
「そうじゃなく、本当の理由だよ」
「その朝、起きると……」
「それは何度も聞いた。そうじゃなく、そこに至るまでにいろいろあったんだろ。会社のことやその他諸々の……」
「だから、朝起きると雨が降っていたんです。雨が降っていたんです」
「言うまで帰さないからね」
 
   了
 




          2006年7月20日
 

 

 

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