お手拭き
川崎ゆきお
三村はこれをどう判断すればいいのか、少し迷った。
その男は喫茶店でサンドイッチを注文した。そして、いきなり手つかみで、口に運んだ。サンドイッチだ。フォークやナイフを使うほうがおかしい。箸で食べるのはさらにおかしい。さすがに箸は出ない。そして、フォークもナイフもスプーンも出ない。スプーンはあるが、コーヒー用だ。このスプーンでサンドイッチを食べるというのは考えにくい。コーヒー用のスプーンでスープを飲んではいけないとかではなく、サンドイッチをスプーンでどのようにして食べるのか、考えただけでも食べにくい。サンドイッチが四角でも三角でも、スプーンに乗せるのは不細工だ。それならフォークで突き刺せばいい。よく立食パーティーで出されるサンドイッチの皿に爪楊枝が複数ついていることがある。それはそれなりに問題はない。だが、上手く突き刺さないと、中身が出てしまう。
三村が悩ましく思ったのは、そのことではない。出されたサンドイッチの皿と同時に紙のおしぼりが出ていたのだ。その男はそれを目で確認したはずだ。三村は、ずっと男の目玉を見ていたので、おしぼりに目がいったことを知っている。
しかし、男はおしぼりを使わないで、サンドイッチを手にした。そして食べ終えると、紙おしぼりを開け、指先と口元を拭った。
「どうなんでしょう」
三村は、仲間の一人に聞いてみた。
「細かい観察ですなあ三村さん。それより、その人物、どんな感じですか」
「普通だ。特に良くも悪くもない。おしぼりの後先以外はね」
「ほう、じゃ、おしぼりが主戦場ですか」
「まあ、そういうことです。何か意見、ありませんか」
「汚れた手でサンドイッチを食べたわけですね。それが気になったわけですね。三村さんは」
「実は、迷っています」
「ほう」
「彼が食後におしぼりを使ったのは、手にいやなものがついたからです。パンくずかもしれません。またマヨネーズのようなものかも。または、野菜から汁が出ていたのかも。それで手が汚れたので、拭いたのでしょう。口元も汚れたので拭った」
「なるほど。でも食べ物は汚れ物でしょうか」
「食べた後は汚れ物になるでしょう。皿を洗うのは汚れたからです。食べ物で」
「じゃ、彼は正しいと」
「いや、食事前に手を洗うのが普通でしょ。しかし、喫茶店で、わざわざ洗いには行かない。洗面所があればいいですが、大概はトイレと同じだったりする。すると、トイレのドアを触ることのほうが、食事前としてはふさわしくない。いくら手を洗っても、その後、ドアノブを回すわけですからね。このドアノブが汚い。手に何か付くはずです。しかもトイレのドアだ」
「三村さん。細かいです」
「常識的には、サンドイッチと一緒に出された紙おしぼりで拭いてから食べるものです。いわゆるお手拭きを出されたのですからね。だが、それは一度きりで、二度使うのは、今一つでしょ。二度とは、食後、手に付いた不快なもの。口元あたりに付いているであろう不快な抵抗体。これを何とかしたいと思う気持ちは、汚れているのかどうかがよくわからない手を拭くより拭きごたえがあるし、より具体的だ。確かに、喫茶店に入った時点で、既に手は汚れている。だが、この汚れは見えない。しかし、パンくずや、野菜汁は見える。この違いはでかい」
「で、どうします。その彼」
「仲間に入れたいのですが、お手拭きの前後が逆なのが気になると同時に、そのほうが生理的には正しいとも思えます」
「じゃ、オーケイなんですね」
「そういう男と、あなたたちは今後一緒に席を同じゅう出来ますか」
「いや、そんなことは、どちらでもいいので。かまいませんよ。人物的にはオーケイなんでしょ」
「そのお手拭き以外では、問題がある人物ではありません」
「気にしませんよ。そんな細かい箇所は」
「他の方々はいかがですか」
他の仲間は何でもいいとうような顔をしている。誰も反対しない。
「じゃ、私だけか、お手拭きにこだわっているのは」
「三村さん」
「はい」
「そんなにお手拭きが気になるのなら、紙おしぼりを持ち歩けばいいじゃないですかね」
「はあ?」
「いや、言い過ぎました。その細やかな配慮、目配りが、三村会長の良さなので、僕らはついて行きますから、お気になさらず」
「今、君は、嫌みをいったのかね」
「言ってません」
「じゃ、なぜ、僕があの新人さんのために、おしぼりを何本も持ち歩かないといけないんだ」
「三村さん。会長」
他の仲間がなだめに入る。
「やはりだめだ。あの新人は、メンバーにはしない。やはり、おしぼりの後先が大事だ。間違っている。そんな男を仲間にできない」
「僕らは気にしていませんよ」
「いや、もう決めた。入れないことに」
この三村会長は、その後も選挙で会長を再任され続け、三村時代を作った。
誰も文句を言わなかったのは、どうでもいいような大したグループではなかったからだ。
了
2012年3月9日