小説 川崎サイト

 

三角と丸

川崎ゆきお


 高橋は豆腐屋のある路地に入って行く。最近自炊をさぼっていたので、久しぶりだ。
 豆腐屋へ厚揚げを買いにきたのだ。とりあえず何かを作る場合、野菜と豆腐を煮る。これが高橋の定番メニューで、子供の頃から食べ慣れたおかずなのだ。野菜はその時期により違う。しかし、厚揚げは動かない。一年中同じものがあるからだ。野菜も年中同じものがあれば、それを買い続けるだろう。ただ、年中あるチンゲンサイなどのハウスものは、高橋の好みではないのか、売られていても、ほとんど買わない。チンゲンサイと白菜は違う。しかし高橋の中での差異はわずかだ。野菜一般なのだ。
 では、白菜とトマトではどうか。この場合、差異は大きく、同じ種類ではないと認識する。トマトは野菜なのか果物なのかが、高橋の中ではごっちゃになっている。どちらかというと果物なのだ。その違いは、トマトと厚揚げを一緒に煮る気になれないことだ。そのため、野菜ではない。キュウリもそうだ。これも厚揚げと一緒に煮れない。どちらもそのまま生でかじるものだと思っている。
 つまり、高橋にとっての野菜は、厚揚げと一緒に煮ることが出来るか、出来ないかの違いなのだ。
 路地の左手に高級八百屋がある。安全安心の野菜や、地元特産品が売られている。これは無視している。高いためだ。
 右手に麺屋があるが、その場では食べられない。麺を売っている。うどんとそばだ。その玉を売っている。アルミ鍋に盛り合わせたものもある。これも無視する。深い意味はない。この路地に入った場合、厚揚げしか買わないためだ。そう決めているのだ。だから、別に買えないわけでも、欲しくないわけでもない。ただ、この路地では買いたくないのだ。その心理は、高橋自身、分析したことはない。所謂何となくの雰囲気のためだろう。
 その目指す豆腐屋の前まできた。手作りの豆腐屋だ。しかし安い。手作りということで、高くしていない。昔からある一般的な町の豆腐屋なのだ。それなりに売れるため、潰れないで持っているのだろう。
 いつもの陳列台を見る。
「ない」
 厚揚げを盛り合わせた皿がないのだ。三つタイプと四つタイプがある。値段は同じだ。その違いは今もわからない。四つタイプがないときは三つタイプにする。その違いを示すような表示がある。木綿タイプと絹こしタイプだ。その違いを高橋が認識し切れていないのは、煮る時間が毎回違うためで、きっと絹こしのほうが崩れやすく、膨れやすいのではないかという程度だ。しかし、確認したわけではない。味の違いも、ほとんどわからない。だから、安いほうを選ぶ。それが売り切れている場合、仕方なく高いほうを選ぶ。そして、どちらが絹こしで、どちらが木綿なのかは、わかっていない。
 高橋が「ない」と呟いたのは、絹こしも木綿もないことだ。つまり、厚揚げそのものが陳列台にないのだ。三角のあの形がなく、そこには丸いお手玉のようなものが皿に乗せられている。この皿は展示用で、皿付きではない。
「ない」という言葉を女将が聞き止めたのか、奥に木綿豆腐なら残っていますよと、フォロー的な言葉を入れた。
 高橋は豆腐ならいらない。豆腐は別の店で買う。この路地の豆腐屋では厚揚げしか買わないのだ。そして、今まで何年もここにきているが、厚揚げがないことは、一度もない。しかし、その予兆はあった。それは、特価値段で出る日があったことだ。これは店が閉まる時間前に、売り切ろうとして、特価になるのだ。高橋も何度かこの特価で厚揚げを買っている。誰かがそれを買ってしまうと、もう品はなくなるはずだ。これが予兆としてあった。
 その品切れ時間帯にきてしまったのだ。それはしばらく自炊をさぼっていたため、いつもより遅い時間にきたことによる。
 女将は高橋のことを知っていた。二日に一度は買いにきていたことがあるためだ。そしていつも厚揚げを買う。一番安いのを買う。しかし豆腐は買わない。豆腐のほうが量が多い。しかし、高橋という客は厚揚げに固守している。
 高橋と女将の間に、闇の間が六十分の一秒ほど出来た。
「じゃ、これ」
 闇の間はすぐに消えた。高橋は、この間を嫌い、丸い固まりを指さしたのだ。ヒロウス。ガンモドキのことだ。厚揚げよりも高級で、高い。手間がかかるためだろう。
 三角三つが、丸三つになった。
 高橋の中では、厚揚げとヒロウスの差はしっかりとある。完璧なまでに別物なのだ。それは材料ではなく、向かい方の違いなのだ。ヒロウスは気楽に食べられない贅沢品だ。そして、味付けも変える必要がある。
 高橋の予定では、厚揚げと白菜を煮ることだった。しかしヒロウスになると、白菜ではなく、菊菜が欲しい。水菜でもいい。だが、白菜はだめだ。
 そこで高橋は覚悟を決めた。ヒロウス単独で煮ると。
 代金を払うとき、そこまで考えながら、ビニール袋を受け取った。
 同じ三つでも、厚揚げの重みがない。ヒロウスの地球空洞説のような軽さなのだ。紙風船のように軽い。
 野菜を入れないで、ヒロウスだけを煮るのだが、実はヒロウスの皮袋の中に、野菜類が少しだけ入っている。だから、野菜抜きではなく、野菜も摂取しているのだ。それを知っているので、白菜は省略してもいいのだ。
 豆腐屋を去り、路地の奥へ向かう。もう、この路地には商店はない。長屋が続き、やがて車が行き交う通りに出る。
 高橋の家は、路地を引き返したほうが早い。しかし、この路地は、高橋の中では一方通行になっている。Uターン禁止なのだ。
 それらは、高橋の決めごとで、高橋の生き方でもあるらしい。
 
   了



2012年3月13日

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