小説 川崎サイト

 

ピンポン球

川崎ゆきお


 ピンポン球だ。
 彼は最初そう思った。そのピンポン球が飛んでいる。壁に当たると、コツンと跳ね返り、そのあと落下するはずなのだが、風で吹き上げられるように、また浮き出す。
 彼の部屋の中での話だ。風など吹いていない。隙間風でもない。多少ガタツキはあるが、そこまでの威力はない。それに隙間はカーテンで覆われている。
 しかし、ピンポン球は浮いている。空中に。
 彼は、ピンポン球を注視する。これだけのことが起こっているのだ。無視するわけにはいかない。
 彼はピンポン球など持っていない。だから部屋には最初からない。
 ピンポン球はゆっくりと回転し始めた。自転だろうか。しかし、真っ白なので、回転しているかどうかがよくわからない。それがわかったのは、黒い面が徐々に見えてきたからだ。
 それを回転と見るか、白地ににじみ出るように浮かび上がっただけなのか、判断が難しい。おそらく前者だろう。徐々に隠れていた箇所が出てきた。ピンポン球の真ん中あたりに黒い楕円が見え出し、やがて、ぴたりと回転をやめた。止まって初めてそれが目玉であることがわかった。
 彼は自分の目に指を当てた。二つとも無事だ。これが外れて、飛び出したわけではない。それにそんなピンポン球の真ん中に黒い瞳のような綺麗な目玉はあり得ない。
 だから、まだ彼はそれをピンポン球だと思っても差し障りはない。目玉だと認識するのは、黒いのが真ん中にあるからだ。どちらかというと、まだピンポン球に近い。それは、さっき壁にぶつかったとき、コツンといい音がしたからだ。あれはピンポン球の音だ。
 彼はもう長い間ピンポン球など見ていない。テレビで卓球の試合をやっているのを見ることがある程度だ。実際にピンポン球を手にしたのは、中学時代だ。教室の机を卓球台にして下敷をラケットにし、遊んでいたのが、おそらく最後だろう。
 だから、きっと今、目の前で浮かんでいるのは、そのときのピンポン球だろう。しかし、黒い丸が、あるのが解せない。それでは目玉ではないか。
 彼は、宙に浮いた目玉のようなピンポン球を、じっと見ているうちに、目がおかしくなり、視界がぼやけてきた。きっと瞬きをしなかったためだろう。涙がすーと落ちたので、あわてて瞬きをすると、ピンポン球は消えていた。
 瞬きのわずかな時間に消えたのだ。
 彼は考えた。目玉なら、もう一玉あるはずだ。さっき見た目玉が左側か右側かはわからないが、目玉は二つあるものだ。
 彼は、左目を見たのか、右目を見たのかを問題にした。だが、それは目玉だと仮定しての話だ。今のところ、まだピンポン球に近い。それなら、二つ必要ではない。左右も関係ない。
 左のピンポン球と、右のピンポン球があるわけでがない。
 きっとピンポン球は、いきなり部屋に現れ、ピンポン球自身も驚き、大きく動いたのだろう。それで、壁に衝突してしまったのだ。
 そして、部屋の中にいる彼を見つけ、見ていたのだ。黒目で見ていたに違いない。その黒目はゆっくりと室内をスキャン中だった。そして、彼を認識し、そこで回転を止め、じっくり見ていたのではないか。
 そして、元の場所へ消えたのだ。その元の場所はどこかはわからない。
 
   了


2012年3月18日

小説 川崎サイト