小説 川崎サイト



ぼんやり

川崎ゆきお



「どうも最近ぼんやりしてね……」
「お齢では?」
「ボケるほどの齢じゃないよ」
「では磨かれて丸くなられたのでは」
「齢をとると余計に頑固になるようだ。僕にもその傾向がある」
「お体が悪いとか?」
「頭が悪くなったのかもしれんな」
「ご冗談を」
「頭が冴えんのだよ」
「今日の講演は大丈夫でしょうか」
「いつも通りに話せばいいんだろ」
「はい、よろしくお願いします」
「昔はね、もっと熱心に語れたんだけどねえ。今は話していても楽しさがない」
「御大の顔を見るだけで、皆さん喜んでくれますよ」
「見世物だね」
「それは……」
 車は会場に着いた。
「どうも最近ぼんやりしてねえ……」
 御大の講演が始まった。
「ボケるほどの齢じゃないんだけど。頭が冴えんのですよ。皆さんはそんな経験ありませんか?」
 秘書は驚いた。さっきのはリハーサルだったのだ。
「時代が時代だから、ぼんやりしてみたいと思うのかもしれませんねえ。昔はそういう時間があったような気がします。仕事中でもね。休憩時間じゃなくても何となくぼんやり出来るタイミングがあった。今でもやっておられる方がおられるかもしれませんがね、昔より状況は厳しくなった。だから、ぼんやりに憧れるのかもしれませんねえ」
 秘書は、大丈夫だと思った。
「ぼんやり出来ない時代にぼんやりしていたのでは餌食になります。まあ、仕事中にぼんやりしているのも問題ですね。ただ、こういう講演を聞きに来られたときはぼんやりなさって結構です。ほら、居眠りされている方がいますね。それでいいのです。どうせ会社から命じられて来られたのでしょ。どうせ大した話しじゃないので、休憩していってください」
 豪華な会議用ホールは全席リクライニングシートのため、倒して眠り始める人もいた。
「でも、この会社の携帯システム導入パンフはお持ち帰りくださいね。あなた達のお仕事はそれだけですから、ごゆっくりお休みください」
 そのシステムは社員と二十四時間連絡を取り合うことで、仕事の効率が上がり、他社より機敏な動きで出し抜けるというものだった。
「明日は福岡、次は鹿児島です」
「熱が入らんよ、この講演は」
「大丈夫です。誰も聞いていませんから」
 
   了
 





          2006年7月21日
 

 

 

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