小説 川崎サイト

 

落語家

川崎ゆきお


 久本は朝方テレビを見ていた。いつもの起床時間ではない。早く目を覚ませたのではなく、徹夜していたのだ。それが白みかけるころ。落語をやっていた。この時間、そんなものを見ている人がいるのだろうかと思うような時間帯だ。しかし、よく考えると年寄りの朝は早い。
 落語など聞くのは久しぶりだ。テレビなので、聞くではなく、見るだろう。
 その落語家に見覚えがあった。
 テレビでいきなり老いた落語家を見たのだが、久本も年をとったのだ。
 その落語家を最初見たのはテレビではない。大衆飲み屋だ。久本がまだ二十歳代のことで、その落語家も同じような年だった。久本はバンド仲間と一緒に飲んでいた。ライブ後の軽い打ち上げだ。ライブハウスでわずかばかりのチャージを集めた金額では、四人分の飲み食い代は出ない。交通費だけで飛んでしまうだろう。そのため、自腹をきっての打ち上げだ。
 そのとき、隣のテーブルで、一人飲んでいるジャージ姿の小男がいた。頭も五分狩りで、チンピラやくざのような感じだった。その男に、カウンターから店員が屋号で呼んでいた。小男が何かを注文する度に、屋号を添えて注文品を声を出して受け取る感じだ。その屋号が、どうも落語家のような名前だったので、きっとそれは若手落語家だろうと思った。
 落語会とミュージシャンの世界は遠いのだが、似たような経済状態なので、安酒場で出くわしても不思議ではない。ただ、若手落語家は少ない。ミュージシャンとイラストレーターの卵は当時街ににごろごろいた。
 久本は落語家は珍しいと思いながら、その小男をもう一度見た。童顔だが皺が多い。
 それから、テレビで数回、その落語家を見たことがある。テレビに出るようになったのだと、思ったのだが、その後、見る機会はなかった。しかし、名前はたまに聞いた。
 落語家がタレントとなり、テレビに出るようになったとき、その小男も出ているはずなのだが、ラジオ向けでもテレビ向けでもないのか、活躍していない。
 それから、何十年も経過している。そして、いきなりテレビで再会したのだ。若いころの顔と変わっていない。皺が増えた程度だ。その番組は落語番組なので、落語家として出演している。やはり、タレントにはなれなかったようだ。その弟弟子は、始終テレビに出ている。
 テレビで久し振りで見た彼の落語は、よくある古典を熱演していたが、どこか下品で、荒っぽい。顔も話し方も生々しい。人間の持つ、いやな人間臭さが出過ぎているのだ。これがタレントとして活躍できなかった理由ではないかと久本は思った。
 よく考えると、久本のバンドも、それに近かった。久本は、もう音楽は聴くだけで、歌うことも演奏することもない。いくらでもそんな若者がごろごろいたのだから、珍しくも何でもない。
 客席からの笑い声がよく入っている。どこかのホールで収録したようだが、非常に受けている。
 よく聞く古典噺なのだが、今まで聞いた中では、最高に面白い。こんないい落語家なのに、なぜ売れなかったのか、不思議に思った。
 やはり、芸が重すぎるためだろう。それが重鎮になっても、下品で臭い。これは、天性のものなので、誰がどう言ったところで、どうなるものでもない。
 しかし、久本は、どんな姿であれ、まだ続けていることを、少しだけうらやましく思った。
 あの落語家はきっと本物の落語家で、自分はバンドごっこをしていただけなのだ。
 久本は朝から、いやなもの、縁起の悪いものを見たと思いながら、布団の中に入った。
 
   了


2012年3月21日

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