小説 川崎サイト

 

化け猫

川崎ゆきお


 放置されている陣屋での話だ。
「見たな」
 惣次郎は驚いた。
 行灯の中に誰かが首を突っ込んでいるのだ。女性のようだ。声が女声で、着ているものも、そんな感じだ。結構派手な花柄だ。
「見たなあ」
 女は行灯の中の油皿の中に入っている油をなめていたようだ。まだ外光があり、部屋は暗くはない。
「見たであろう」
 惣次郎はその正体を知った。行灯から顔を出したためだ。口は大きく裂け、反った舳先の船のような形になっている。
「答えぬか! 見たであろう」
「見ません」
「目の前におるではないか」
「見えません」
「嘘を申すな」
「いえ、見えません」
「では、妾は誰じゃ」
「誰って、化け猫でしょ」
「それみろ。見えておるくせに」
 猫が人間に化けているのか、人間が猫に化けているのか、よくわからない。ただ、胴体は人間で、頭と腕だけは猫なのだ。しかし、その大きさから言えば、雌ライオンほどの大きさだろう。人間より大きい。
 そして、顔は猫と人間を合体させたような感じだが、人間をベースにした猫だろうか。猫をベースにした人間ではなさそうだ。そのため、人間寄りの猫なのだ。
「小奴、まだしらを切るか」
「見えません」
「では、見えぬ相手と、おまえは喋っておるおのか」
「それも違います」
「妾の正体を見たであろう」
「きっと私は幻を見ているのだと思います。決してあなたを見ているのではなく」
「何? 幻だと」
「はい。本当はあなたは目の前にはいないのです。すべて私の幻なのです。だから、あなたはいない。従って、見えないのです」
「見たであろう」
「皿の油をなめておられたようですが、油なら、用意しましょう。納戸に油壺があります。山崎の菜種油です。こちらは食用しても大丈夫かと思います」
「では、おまえは、誰と喋っておるのじゃ」
「私自身です」
「何を戯けたことをもうしておる。目の前に化け猫がおるじゃ」
「この惣次郎、もう年を食らい、そんな幻を見るまでに至ったと知り、今は情けない限りです」
「その心配には及ばぬ。おまえが惚けておるのではない。妾は本当にいるのじゃ」
「そのお言葉、私自身の中から聞こえて来よります」
「違う。耳を持て、その耳を使え」
「空耳でございます」
「小奴!」
 化け猫は立ち上がり、怒って奥へ去っていった。
 惣次郎は、その奥へ目をやった。
 奥は布団部屋だ。
 そっと中を覗くと、布団ばかりが積み上げられた部屋で、化け猫の姿はない。その身なりから、布団部屋になどに用があるとは思えない。
 惣次郎は惚けただけなのか、本当に化け猫がいたのか、判断しかねた。
 
   了

 


2012年3月29日

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