小説 川崎サイト

 

京伝幽学

川崎ゆきお


 京伝幽学と言う人は、幽霊を出す人で有名だ。
 古い旅館を住処にしており、幽霊を見たいという人に見せていた。
 だが、幽霊を見るには手間暇かかる。いきなり旅館を訪れても、すぐには幽霊など出ない。
 そのため、京伝幽学は旅館に人を呼び、そこで見せている。見るには一泊が必要なので。
 幽霊は昼間には出ない。丑の刻と相場が決まっている。深夜二時半だ。この時間にぴたりと出るわけではない。深夜の一時ではまだ早い。寝付きの悪い人がいる。三時半ではもう遅い。そろそろ起きてくる年寄りもいる。
 二時半はその意味で、人が寝静まる時間だ。
 二時から三時あたりが出やすい。その時間、見物客に来てもらうわけにはいかない。そのため、旅館で待機してもらうわけだ。普通に一泊してもらえばいいのだが、幽霊が出る前に眠りにくいだろうし、出たあとでは興奮して、寝付けないだろう。そのため、一泊と言っても、実際には泊まるだけで、寝泊まりとまではいかないようだ。ただ、出なかった日は、遅くまで起きていたので、よく寝るようだ。そのため、昼の十二時まで宿にいられるようになっている。標準は十時だ。だから、少し融通が利く程度だ。
 客はまず、京伝幽学の部屋へ行く。この部屋は離れにあり、上等な部屋だ。三間続きで、結構広い。
 客は夜遅くに来る。夕食は出ない。しかし、夜食は注文すれば、夜泣きうどんか、蕎麦が出る。これが非常に高いので、客はあらかじめおにぎりなどを持ち込むようだ。
 幽学の部屋はおどろおどろしい。講談師の使っていそうな机があり、そこに太い裸蝋燭が立っている。明かりはそれだけだ。木造旅館なので、すきま風があると、蝋燭の炎がゆらっとなり、影が動く。これが、どうも気色が悪い。
 京伝幽学の人相が、そもそも幽霊というか、死に神のような顔だ。誰も死に神など見たことはないので、似ているも何もないのだが、悪魔のような顔だと言えばいいだろうか。鼻が尖り、頬が飛び出ており、非常にオクメだが、目玉は大きい。そして、メークしているのか、目尻が上がり、目の下が黒い。
 幽学は低いかすれ声で、幽霊について数分語る。十分ほどだろうか。それ以上は退屈させてしまうためだ。
 ただ、幽霊の見方については、やや説明が長い。
 客間は板戸や襖ではなく、障子が入っている。この障子戸は廊下に面している。そのため開かないようになっている。入り口は、襖一枚のドアのようなもので、蝶番式で開く。これには鍵がかかる。ここが旅館らしい。
 廊下に沿って縁側があり、そこには硝子戸がはめられ、さらに雨戸まである。縁側に面して小さな日本庭園らしきものがあるが、下りて歩けるほど広くはない。見るだけの庭だ。
 幽霊が出るその部屋は、他の部屋の間取りとほぼ同じだ。そういう部屋が五つほど並んでいる。これが旧館の北側で、西側と南側に、それぞれ部屋があり。二階もある。
 幽学の説明では、その障子に幽霊の影が現れるらしい。ただ、それはトリックで、廊下で投影しているとか。
 客にその説明をし、納得してもらっている。
 だから、二時半になると、幽学が投影セットを廊下に置き、障子に幽霊の影絵を写すのだ。
 客はそれを承知している。これは幽霊に慣れるための準備ではなく、誘いなのだ。
 つまり、本物の幽霊を誘い出すための。
 偽の幽霊が出ると、本物の幽霊が、たまらず出るという妙な話だ。
 二時半前、幽学は鈴を振る。するとシャリーンと音がし、それが合図で、出る時間を知らせるのだ。
 ただ、幽学は長年これをやっているが、鳴らしていないのに、鳴ることがあった。これは、宿の誰かが、風鈴でも触ったものとして、それほど気にしていない。
 幽学は投影セットを客間の廊下に置き、すぐに鈴を鳴らし、さっと立ち去る。
 客は鈴の音が鳴ったので、言われたとおり、障子を見ると長い髪の浴衣姿の幽霊を見る。これは影絵のため、驚かないが、それでも気味のいいものではない。蝋燭の光なので、硝子戸のすきま風が蝋燭を揺らすため、幽霊が動いているように見える。
 じっと見ていると、本当にいるように見える。説明を聞いていても、トリックではなく、本物ではないかと思ってしまうからだ。
 幽霊はすぐに消える。短いローソクなので、長くは出られないのだ。
 問題はその後だ。
 幽学曰く、本物の幽霊が誘われて、出てくる。
 客もそれを知らされているので、影が消えても、じっとその障子を見ている。
 雨戸は閉めていないので、庭の木がうっすら写っている。遠いところにある外灯だが、庭を照らしているためだ。そして、風が吹くと、葉が動く。それがうっすらと障子に写るのだ。
 客は、しっかりとした影絵ではなく、淡い影絵を見ているようなものだ。
 それをじっと見続けていくうちにおかしくなるようで、ほぼ全員幽霊を見たと言い出す。
 幽学曰く、たまには本物も混ざっており、あながち錯覚ではないらしい。
 宿泊料込みで、結構な値段だが、クレームを言う客は、これまで一人もいない。
 
   了


2012年4月9日

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