小説 川崎サイト

 

共同幻想論

川崎ゆきお


「共同幻想というのがありますねえ」
「共同幻想は、個人幻想です」
「いや、個人幻想と共同幻想があるのです。共通した幻想って、あるわけですから」
「だから、幻想全て個人が見るものですから」
「その個々人の幻想の中で、共通するものがあります」
「それは、幻想のさらに幻想で。そこまで来ると、もう得体が知れませんよ。つまり、幻想小説の中で書かれている幻想小説のようなものですから」
「いいですねえ。その比喩。だから、幻想の中の幻想、現実かもしれませんよ」
「その発想はいただけません。ただの個人幻想の繰り返しで、横並びです」
「では、話を戻しましょう。普遍的なものを共同幻想と言うのは、いかがですかな。これを文化と呼んでもよろしい」
「いや、文化圏の中でもまた種類があります。同じ文化圏でも、違う文化が混ざっています。どの文化を身につけているのかは、個人の問題でしょう」
「では、あなたは共同幻想を認めないと」
「共同とか、共有とかは、極一部のことです。だから、それでは括れません」
「じゃ、共同幻想というものを仮定しての話では、どうでしょう」
「それこそ幻想ですねえ」
「つまり、共同幻想を仮定する幻想が、あると言うことですよ。これは普遍性があります。それが幻想であっても、そういうものがあるように仮定する傾向です」
「そこまでいくと、遠いです。あまり実用性がないのでは」
「これは、共通する文化や習慣、風俗などを共有することで、成り立つ世界があるんです。その最大のものは宗教でしょうな」
「宗教は幻想です」
「それはまた」
「最初の嘘が効いています。この最初の嘘があるため、それ以降は、もうリアルではなくなります。だから、その嘘が幻想で、その後、いくら精巧に作っても、嘘の上塗りなんです」
「だから、真実を探るのではなく、その効用が必要なのですよ。これが共同幻想の随です」
「随ですか」
「本随です」
「では、最初から共同幻想と言わないで、宗教とか、信仰にすればいいではありませんか」
「宗教アレルギーの人は、受け付けないでしょ。だから、言葉を換えるのです。それが共同幻想です」
「それで、何が言いたいわけですか」
「人は共同幻想の中でしか生きていけないと言うことです」
「その場合、共同幻想と言わなくても、社会と言えばいいじゃないですか。社会的動物。集団で生きている動物で、いいんじゃないですか」
「それでもいいのですが、それを精神論的に考察した場合、共同幻想がふさわしい言葉になるのです」
「要するに、私はそれを社会と言いたい。そしてあなたは共同幻想と言いたい。この違いがつまり、共通していても、流儀が違うと言うことでしょ。この流儀をさかのぼると個人幻想になります」
「いやいや、そうじゃありません。最初に共同幻想に乗っかっているから、個人幻想も生まれるのです」
「たとえそうでも、むらが出ます。ここに個人の傾向が生じます。文化だけではなく、肉体的な要素も大きいと思いいます」
「あなたの言っているのは、糞リアリズムです。話がそれでは進みません」
「幻想は少ないほうがいいのですよ。優れた宗教や、信仰は、最初のたった一つの嘘で、すむのですから」
「いや、私の言っているのは、流儀の問題なんです。現実の問題ではなく、もう少し抽象度の高い話なんです。人はどうやって物事を考えるかという話なんですよ。だから、この場合、共同幻想などは、現実的でなくてもいいのです。方便ですよ」
「それは分かるのですが、そのことも含めて、全てあなたの個人幻想にしかすぎないと言うことを、念押ししておきます」
「押しましたか」
「はい、押しました」
「じゃ、今日はここまで」
 
   了


2012年4月12日

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