野山とタワシ
川崎ゆきお
なぜそれが浮かび上がったのかは分からない。
古い風景だ。何年か前に見た野山だ。観光で行った記憶があり、場所も特定できる。日記を見れば、年月も分かるはずだ。
では、なぜその野山を急に思い出したのだろう。
大石はエスカレーターで上へ向かっている最中、それを思い出した。きっと何かがきっかけとなり、スイッチが入ったのだろう。まずは、それを探る必要がある。
大石はタワシを買いに三階にある店へ一階からエスカレーターで上がっていた。二階目の途中で、その風景が来た。
タワシと野山の風景とは関係はない。あるとすれば、エスカレーターだ。上るという行為だ。だが、その野山は平地から見た風景で、坂道を上ったことはない。しかし、高いところにある山なので、上に向かうといういうことでは悪くない繋がりだ。
大石はさらに考えた。それを思い出す前に、頭の中で何を思っていたかだ。
その記憶が曖昧なのだ。何も思っていなかったわけではないが、際立ったことではない。エスカレーターから、店舗を見ていた。雑貨屋や子供品売場をエスカレーターの高さに応じて見下ろすことができる。そういうのが見えている、という程度のことを思っていたはずだ。
すると、これは高いところから下を見下ろすということで、野山と繋がる可能性が高い。
きっかけが分かったとしても、なぜ野山なのだろう。そして、数年前に行った野山が見える場所に何があるのだろう。
三階まできたので、日用品売場で田中はタワシを買う。タワシだけを買う。
野山とタワシの繋がりはない。だが、タワシの材料は野の草かもしれない。藁や何かの毛だろう。しかしし買ったタワシは合成樹脂だ。
ここで野山とタワシを繋げようとするが、これも無理がある。
結局、野山を思い出したきっかけが分からない。
その野山が見えるその行楽地での記憶は少し残っているが、平凡な行楽だった。あるグループに金魚の糞のように付いて行った。
記憶の断片が飛び出したのだが、それだけのことで、特に気にとめる必要はないのかもしれない。
大石は、部屋に帰った。
そのとき、もう、あの野山のことなど、忘れている。
了
2012年4月19日