小説 川崎サイト

 

般若女

川崎ゆきお


 一人暮らしで寝たり起きたり、働いたり働かなかったりの青年が、妙な物に出くわした。
 桑原は動画を見続け、目が痛くなってきたので、休憩の意味で、自販機のある場所まで自転車で行った。 その戻り道、自転車が重い。米でも運んでいるような感じだ。ハンドルの反応が遅く、坂道でもないのにペダルが重い。
 荷台には何も乗せていない。その覚えがない。後輪がパンクしたのではないかと思い、ふと振り向くと、体も首も、それほど回すことなく、視界に白い物が乗っていることに気づいた。わっと、思ったのだが、すぐに判断するのを控えた。しかし、どう考えても、後ろに誰かが乗っている。
 桑原はぐっと体を反り、サドルに乗せた尻も、少しだけ後方へずらせた。
 錯覚ではない。あたりがある。後ろのそれと背中が接触している。
「誰?」
 誰かが、冗談で飛び乗ったのではないかと、あり得ることから考えたのだ。
「ううう」と、反応はあったが、これは、言葉ではない。うなり声なのだ。しかしこれは、呼びかけに答えてくれたのかもしれない。コミュニケーションが行われたのだ。
 それで、ちらっと振り返り、すぐに前を見る。まだ、幹線道路なので、車が横を通り過ぎるため、じっくりとは観察できない。
 全身真っ白で、これは着物のようだ。そして、その大きさ重さから子供か女性だ。
 枝道に入ったので、もう一度後ろを見る。
 すると、頭巾のようなものをかぶっている。着物に頭巾。そして、顔を見たのだが、面をかぶっているようだ。
 般若の面だ。頭巾で二本の角は見えないが、口がかっと裂け、眉間に深いしわが寄っていた。
 桑原は、それを乗せたまま、アパートの駐輪場へ入った。
 自転車から降りると、その白い般若女も降りた。
 着物から手が出ているが、真っ白だ。足元を見ると、白足袋だ。
 自販機に行くまで、部屋でホラーの動画を見ていたので、妙なものを乗せてしまったのではないかと考えたが、幻覚ではない。触れられるのだ。それに体重を持っている。
 般若女はかなり背が低い。昔の人かもしれない。
 アパートの鉄階段でも後ろから来ている。さらにドアを開けると、すぐ真後ろ。
 桑原は閉め出すなら今なのだが、好奇心が走った。ホラー動画の世界が現出したからだ。これは体験すべきだろう。
 ドアをすぐに閉めないで入って来るのを待った。般若女は素早く入室した。そして、部屋の隅で、じっとしている。
 桑原は、ものすごい体験をしていることを、今更ながら自覚した。
「誰?」
「うううう」
 やはり喋れないようだ。
 桑原は戸棚から食パンを取り出し、彼女に差し出した。
 だが、反応はない。
 パンが分からないのかもしれない。
 桑原は、人間関係が苦手で、それが原因で働きに出ても、数ヶ月でやめている。耐えられないのだ。たまに半年ほど働いたこともあるが、それは長く我慢しただけの話だ。
 だから、人と接するのは苦手だ。
 それだからといって化け物なら平気なわけではない。しかし、久しぶりに人間と接したような気になった。それも非常に優位に。
「どこからきたの?」
「ううう」
 同じうなり声で、イエスでもノートでもない。同じ反応なのだ。
 白い般若の化け物は四日ほど滞在し、五日目には消えていた。
 三ヶ月後、桑原はそれを懐かしがり、毎晩のように、その自販機まで自転車で行っている。
 しかし、二度と遭遇することはなかった。
 
   了


2012年4月22日

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