小説 川崎サイト

 

雑草

川崎ゆきお


 上田は玄関先の余地に生えている雑草を見ている。一戸建ての家が並ぶ住宅街だ。
 一人暮らしの老人が多くなっている。上田もその一人だ。
 上田の家は、幸い植え込みはない。ブロック塀で仕切っている。そのため、垣根の手入れはしなくてもいい。
 しかし、玄関前の余地や、溝に生えている雑草は自分で抜かないとだめだ。
 その雑草は菜の花のような黄色い花を咲かせている。一日でぐっと茎を伸ばす。勢いのいい花だ。菜の花よりも花びらは小さい。どこから飛んできたのだろう。
 余地を覆っているコンクリートの割れ目から、この雑草が伸びている。溝の雑草はコンクリートにたまった土から生えている。
 隣近所の手前、抜いておいたほうが好ましい。
 それで、二十センチほど延びたところで、抜くことにした。
 ぐっと茎をつかんだとき、黄色い花の精霊が語りかけてくるのではないかと、メルヘンぽいことを思ったが、そんな声は聞こえない。
「私を抜かなければ、いいことがありますよ」
 と、語りかけることを期待したのだが、そんなことがあれば、雑草が生えている場所は、うるさくて仕方がないだろう。おちおち草抜きもできない。
 だから、この場合の語りかけは、この雑草に限っての話だろう。つまり、精霊がいる雑草は貴種で、めったやたらといるわけではない。
 上田が偶然握ったその雑草が、その貴種である確率は非常に低い。それよりも、そんな花の精などいないだろう。
 上田は、ぐっと雑草を抜いた。土もついてきたので、それを振るい払う。ゴミ袋が重くなるためだ。
 その根の中に、妙な瘤があり、それが語りかけてくることを期待したが、それもなかった。当然だろう。
 そんな想像をするのは、せっかく生えた生命体を断つことに対する後ろめたさだ。
 しかし、世間では雑草は抜いてもいい。むしろ抜くべきなのだ。ただ、雑草ではなく、名のある花は大事にすべきとなっている。
 苗から、または種から育てた草花は、人の思いがかかっているため、迂闊には抜けない。それなら、最初から植えなければいいのだ。
 雑草は自分で植えたわけではない。勝手に生えてきたのだ。何かの拍子で種が落ちたのだろう。風かもしれないし、猫にくっついていたのかもしれない。
 そして、雑草を生やすのは、無精ひげを生やすのに近い。手入れをしていない証拠なのだ。だから、怠け者であると、言っているようなものだ。
 上田は雑草を全部抜き、ビニール袋に詰め込んだ。ゴミの日に出すため、土間に転がした。
 夜中、トイレに立ったとき、土間の前を通る。そのビニール袋内の雑草は、まだ死んでいない。
 だから、「お願いです。助けてください。ここから出してください」と訴えているかもしれない。
 だが、上田にはそれを聞き取るだけの能力はない。あれば困るのだが。
 上田は不憫とは思いながら雑草を抜いた。世間ではそれでふつうで、誰も不憫とは思わない。
 当然だろう。
 
   了


2012年4月30日

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