小説 川崎サイト

 

一人頭

川崎ゆきお


 足立は一日中ネットを見ている。様々なコミュニケーション系サイトで書き込んだり、読んだりしている。それだけで結構忙しい。
 それをやりながら、テレビも見ている。だから、ずっとそういう画面ばかり見ていることになる。
 休憩で喫茶店に入っても、やはり端末のモニターを見ている。ケータイやノートパソコンだ。そして、それを見ていないときは電子書籍を読んでいる。これもモニター画面で。
 さらにその往復の道すがら、カメラでちょい写しをする。このときもカメラの背面のあるモニターを見ている。
 ある日、ネットで知り合った精神科医の卵と会った。ニワトリの卵ではない。人間だ。
「僕は本当に現実を見ているのでしょうか」と相談した。
「全て現実ですよ」
「仮象とか、仮想とかの現実じゃありませんか」
「それも現実です」
「じゃ、テレビの中も現実ですか」
「現実にあったこと、現実の人間が出ているときは、現実です」
「じゃ、アニメはどうですか」
「それを作った人が現実にいるわけですから、それは現実です」
「じゃ、夜に見る夢は」
「それは現実ではありません」
「ああ、やっと現実でないものが出ましたか」
「現実とバーチャルの差はほとんどないのです」
「ああ、はい。しかし、本当の現実を見ているより、モニターを見ている時間のほうが長いような気がするのですが」
「目が疲れなければ、それでいいでしょう」
「目薬はよくさします」
「まあ、光源を見ているようなものですからね。反射光を見るほうが楽ですよ」
「反射光」
「光を発していないものです。他の光の反射で見えるものです。だから人間の顔なんか光を受けて輝いているのです」
「それはわかり分かりますが、目の疲れだけの問題でしょうか」
「と、いいますと」
「生の現実を見ている割合と、モニターを見ている割合が、バランス的に悪いのではないでしょうか」
「でも、読書家なんて、一日中、本を読んでますよ」
「ああ、なるほど」
「また、仕事で、じっと同じものばかり見ている人もいます。しかも拡大鏡を使って」
「そうですねえ。それはまあそうなんでしょうが、精神的にはどうなんでしょう」
「と、いいますと」
「現実感が薄くなるんじゃないでしょうか」
「はて?」
「テレビニュースは映像でしょ。実際に自分の目で見たわけじゃない。まあ、それが生で見られるのなら、僕が犯人にでもならないと、ニュースにはならないでしょうから、一生テレビニュースと同じ映像を生で見るようなことはないと思い思います。それに、この駅前ですけど、一度ニュースになりました。大雨が降った日です。記録的な集中豪雨の時です。テレビで見ました。いつも見ている生の風景です。でも違っているんです。別の場所かと思いましたよ。だから」
「だから?」
「僕が現実だと思っているテレビニュースの絵は、実は違うんだと。食い違っているのです」
「違う駅だったのですか?」
「同じ駅です。でも雰囲気が全く違うのです」
「あるべきものはあったのでしょ。改札とか」
「それはありました。でも印象が」
「それは、カメラのレンズを通した現実のためですよ」
「でも印象が」
「それを言い出すと、全ての人の駅の映像は違ってきますよ。印象がね」
「はあ、そうですかあ」
「人間は元々一人頭で歩いているのです」
「はあ?」
「一人頭です」
「頭は一つです。確かに一人に頭一つ」
「そう。その一人頭の中で見ているから、一人一人印象が違うのです。だから、それで普通なんですよ」
「それと、そのう、モニターばかり見ていることの欠点のようなものと関わりますか」
「関わりません」
「精神的にも大丈夫なんですね」
「はい。心配する必要はありません」
「よかった」
「ただ」
「ただ?」
「目が疲れるので、注意して下さい」
「あ、はい」
 
   了

 


2012年5月2日

小説 川崎サイト