小説 川崎サイト

 

ある事情

川崎ゆきお


 ホールのように広い喫茶店での話だ。
 真冬なのに扇風機が回っている。喫煙してもいい場所なので、換気のためだろうと高橋は思った。だが、換気扇は壁側に二台ある。
 ではこの扇風機は何だろう。やはり換気目的、空気をかき混ぜるため、回しているのだろうか。
 四枚羽でカバーはない。一枚一枚の羽はよく見える。回転していても見えるので、ゆったりと回っている。
 その下、プロペラの付け根に月のような電球がぶら下がっている。後付けではなく、一体型だ。しかし、天井には蛍光灯がかなりの数埋め込まれている。照明としての実用性は低い。白熱灯のため、電球を取り替える作業が大変だろう。
 ホールのようなその喫茶店は天井が高い。普通の住宅の二倍近い。
 高橋が、ずっと扇風機を見ていると、横のテーブルでケータイを弄っていた中年男が、何やら言い出した。
「事情が分からないと、本質を見失う。世の中はそんなものだ。情報戦争だよ、知らないと損をする。失敗する。分かるね」
 真空管が切れた親父ではないかと高橋は無視する。
「あの扇風機は店のものではない。確かに店の持ち物だ。備品だ。しかし、喫茶店のアクセサリーとして取り付けたものではない。ここが誤解の始まりだ。実はこの箱はお洒落なブティックだった。それが潰れて、扇風機だけ残して立ち去った。次に借りたのがこの喫茶店だ。だから、扇風機は改装前からあった。喫茶店が取り付けたものじゃない。残しておいてもらったんだ。それはね、取り外しに工賃が掛かるからだよ。それに取り外すと天井に穴が空く。だから、穴ふさぎなんだ。喫茶店が、あれを取り外すことは簡単だ。しかし天上に空いた穴にカバーを付けると、不細工だ。それだけのことなんだ」
 中年男は、それだけ言うとケータイに目を戻した。
「よくご存じですねえ」
 高橋は、その説明に対し、礼を言ったつもりだ。感心しましたと。
「なーに、事情さえ分かれば迷わない。世の中、この種のトラップがある。知る者にとっては何でもないことだが、知らない者はいろいろ解釈を試みる。それで、間違った判断を下すこともある。そういうことだ」
「何か、その種のお仕事をされているのですか」
「あらあら、私の誘いに乗っちゃいけませんよ。だって、私は山師ですからね」
「山師って、山仕事の人ではないですよね」
「うんうん、いい感覚だよ。君。そういう人間はだませない。だから、私は君に何も仕掛けないよ」
「どうしてですか」
「だって、そうだろ。私が凄い金儲けの方法を知っていたとしよう。するともうそれを実践しているはずだ。だったら、こんな安い喫茶店で、コーヒーなど飲んでいないよ。それにもう小一時間ここに居る。暇なんだよ。だから、私が語る金儲けの話は嘘になる。懸命な君なら、分かるだろう」
「それはネタばらしですか」
「ネタの手前をばらしているだけで、ネタ本体にはまだ語っていないよ」
 高橋は深入りした。
「ネタ本体って、どの方面ですか」
「方面」中年男の口がほころんだ。
「方面ねえ。方面。まあ、それも問い方の一つだ」
「どの方面でしょう」
「いやいや、私自身がしくじったので、教えると、君も被害を受ける。損をする。そんな損をするようなことを教える気はない。ただ、このコンテンツには将来性がある。私はしくじったがね。まあ、大した損出じゃないから、こうしてまだ喫茶店で座ってられる」
「電子書籍の出版をやるとか」
 中年男は腹を抱えて笑い出した。
 非常に可笑しかったのだろう。
「違う。違う」
「じゃ、どの方面ですか」
「私は不動産関係だ」
「ああ、じゃ、僕は全く未知です」
「そうだろ」
「でも、金儲けのネタをコンテンツというものでしょうか」
「コンテンツとは内容だよ。ネタの内容という意味だ」
「あ、はい。分かりました」
「じゃ、私は失敬するよ」
 中年男は立ち去った。
 何か企てているようだが、今日は調子が悪いのか、シゴトをする気がないようだ。
 高橋は引っかからなかったのだが、詐欺師の事情までは分からない。
 
   了

 

 


2012年5月7日

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