小説 川崎サイト

 

金魚と柏餅

川崎ゆきお


 室田は魚屋で金魚を見た。その横に柏餅もあった。五月十日子供の日のことだ。
 金魚は金魚すくいで泳いでいるあの金魚だ。金魚の中で一番安い。それが三匹、ビニール袋の中でじっとしている。すでにパックされ、酸素も入っているようだ。水槽のかけらもアクセサリーのように浮いている。何となく刺身のつまだ。細く切った大根ではなく、シソのような。
 値段を見ると、近くのペットショップで売られているものと変わらない。だが、金魚屋でならもっと安い。ただ、最初からパックしてあり、それをレジに運べば、すぐに手に入る。
 場所は、レジ近くで、鮮魚と一緒には並んでいない。目に付きやすい場所だ。
 そして(観賞用)と断り書きがある。魚屋のどの魚も死んでいる。死体を並べて鮮魚としている。死んで間もないので鮮魚なのだ。だが、この金魚は生きている。
 生きたままの金魚を食べる習慣はない。死んだ金魚でも、それを食べる習慣はない。川魚であり、しかもこの安い金魚はフナ系だろう。フナもそのまま食べるのは、あまり聞かない。
 観賞用となっているのは、間違って食用で買う人がいるためかもしれない。金魚は観賞用だが、食べられないわけではない。そして魚屋で売られていれば、食べられると思うに違いない。だから、その間違いを避けるため、観賞用と書き足したのだ。
 横の柏餅を見れば、おおよそのことは分かる。この金魚は鯉のぼりなのだ。しかし、小さな鯉ではなく、安物の金魚だ。フナ系なので、鯉ほどには大きくならない。
 魚屋で餅を売っているのもおかしな話だが、それらは縁起物に近く、餅も食べるためにあるが、餅屋とは違う売り方だ。縁起物系なのだ。
 室田は鰯のめざしを手に、レジに並んでいたのだが、その金魚が欲しくなった。これと同じ種類の金魚が、もう五年も生きている。十匹ほどいたのだが、生き残ったのはこの一匹だけ。だから、水槽に余裕がある。さらに、最後の一匹の跡取りがいない。それが生きている間に、次の金魚にバトンタッチしたい。
 そして、鮮魚屋の金魚なら、ずっと記憶に残るだろう。きっとこの金魚を買う人は、子供の日の記念になる。だが、金魚はある日突然死ぬ。だから、あまり記念品として縁起のいいものではない。記念なら、記念樹を植えた方がいいだろう。
 しかし、当分は生きるだろうから、鯉のぼりのように泳ぐ感じで、ちょうどいいのかもしれない。
 だが、室田自身が、まだ子供のため、自分のために買うことになる。本来の意味での観賞用で。
 だが、鰯のめざしのほか、キャベツひと玉を買っているので、荷物が重い。
 今日は見ただけで、ここで、売っていることを確認しただけで、帰ることにした。
 そして、翌日行ってみると、もうその金魚も柏餅も消えていた。
 
   了


2012年5月12日

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