小説 川崎サイト

 

暇坊

川崎ゆきお


 非常に広い喫茶店で、二百席ほどある。喫煙席と禁煙席はガラスで仕切られているため、両方から見通せる。セルフサービスの店で、店員が一人しかいない日もある。土日に混むようで、これはショッピング街のためだ。
 ある平日。誰も客がいない瞬間がある。台風や大雨で客足が少ないのではない。
 村田は不審を感じたが、それはコーヒーとお冷やを盆に乗せ、それをテーブルまで運んだときだ。そのときは気付いていない。実はほぼ毎日来ているので、変化のないものには目がいかないようだ。そのため、店内をよく見ていない。
 端っこのテーブルに付き、棒状のシュガー袋を破り、サラリと入れようとしたとき、それに気づいた。
 客がいないことを。
 休みではない。定休日はこの店にはない。ショッピング街も休みの日はない。それにここまで来るフロアには客がいたし、店も開いている。
 すると、この喫茶店だけ工事中なのか。それも考えられない。なぜなら、レジでコーヒーを注文し、確かに店員が作り、それを盆で受け取っている。営業していないのなら、これらのアクションは、全くないだろう。だから、普段通りの営業なのだ。
 しかし、いつもは十人以上の客がいる。一人もいない日はあり得ないが、客席に客がいない瞬間は確かにある。ただし、それは閉店間際に入ったときだ。ショッピング街も閉まるので、ぎりぎりまで喫茶店内にいる客は少ない。
 では、ここだけ、偶然その日、その時間帯、人が来ていないだけなのか。それはあり得ることだ。常連客は何人かいつも見かけるが、同じ日、同じ時間帯に来ているわけではない。三日に一度見かける人もいれば、週に一度もいるし、毎日見る人もいる。それらの常連客は申し合わせて出席しているわけではない。何かの都合で来れなくなる日や時間があるだろう。
 だから、その常連客が偶然重ならなかったのだ。そして、一般の客も、偶然、その時間帯に来なかった。それだけのことかもしれない。この偶然は五年に一度起こる現象かもしれない。確率的には、そんなものだろう。
 村田はその偶然の重なりの中に、偶然今いるわけだ。
 決しておかしな空間に入り込んだわけではない。
 と、そのことで、思い出したことがある。
 それは暇坊という坊主だ。文字通り暇な坊主だが僧侶ではない。スキンヘッドの男で、後ろ姿しか見ることができない。場所は映画館で、これは昔の話で、映画館から客が減りだし、がら空きか、一人も客が来ない日があった。映画館そのものは、映画全盛時代の大きな劇場だ。常に満員になり、立ち見が出るほどだった。
 暇坊は、客が誰もいない映画館に出現する。客がいないと、実際にはフィルムは回さない。だが、映写技師は客がいると思って、回すのだ。見ている客とはその暇坊だ。
 二人目の客が入ったとき、フィルムは回っている。その客はスクリーンと一緒に暇坊の頭を見る。ふつうの丸坊主の男の頭なので、当然人間だ。別に不信感はない。ただ、客が少ないとき、いつも、この暇坊を目撃すると、ちょっと気持ち悪くなる。
 また、暇坊が出ているときは、それを目撃した客のみで、もう一人客が入って来ると、暇坊は消えている。暗いし、またすぐにスクリーンに目がいくので、前列席で頭だけが見えている客など、意識して見ていない。だから、消えたことも気付いていない。
 という話を村田は思いだした。
「もしかすると」
 しかし、明るい店内には暇坊の姿はない。
 
   了



2012年5月16日

小説 川崎サイト